色どりの街<2001・9・11アメリカ同時テロ・ナイーブな時代> | 彩希 ユキノの花舟@微笑℃ルーム
色どり街
つづきだよ~
はい、ゆきです、
ちちょっと、前で
もう過去に あのときは
なにをおもって生きてたのでしょう。
今のこんな日がくるって
考えててみなかったこと・
・なのかも・。

こどもたちがなれない暑さのなかで
始業式をむかえたころ
学校へと送り出したあと、
いつものとおり けいこうとうに
包まれて
14型のテレビデオの中で
アメリカの大きなビルに飛行機が
ぶつかって
ビルが炎上する
というショッキングなニュースを
報じていました
悼むいのちが大勢なくなられてた
そうで つらく悲しく感じました

電気製品リサイクル法が始まりました
使い捨ての疑問は リサイクルにより
改めの時期となっていきました。
と 反対に テレビが割りと
お手ごろに買えるようになって
さくこの家でも
各部屋一台のように なって
激しかったチャンネル争いにも
終止符が うたれました。
家族として 団らんを考えるひとの
反対の声は 聞こえていましたが
こどもが大きくなるにつれて
可能なこととなっていました。

中学校では 限りない生活の
改変に必死ではあり、
思春期らしくて 影となるところは
かなり 尾をひいていましたが
痛むこころ 通じないこころ
先生からの命令言葉の解釈
教室にはいれない生徒
校内暴力
さまざまに見えましたが
いのちの鼓動、悪しきも
よくも そのリスクのに必死で
時をしのび 戦っていました

ほのかは あいかわらず
なにごとにも動じず
咲子の必死の介護にもかかわらず
発達は回復せず
重症からでてきて2歳11ヶ月であるいた
勲章だけで生きていけるらしく
細かい事にこだわらない
そのかたまりで生きていました。

素晴らしいのは つらいだろうけど
ほのかにあわせていてくれて
めんどうをみてくれるお友達に
いつも 咲子は感謝していました
つまづいたとしても
やさしくみてくれるひとがいる
ありがたさは 
うれしいぬくもりで
とても うれしかったのでした。