1950年の熟し時
縁側のある茶色の木の家で
それでも べビーベットで
つかまり立ち
大きなラジオの音と
メリーゴーランドが
くるくる回っていた
電話もテレビもなく
花屋のあとの借家で
文房具を 赤子のめんどうを
しながら 母は 働いた
井戸が 家の中にあり
ギイギイと音をたてていた
道はむき出しの茶色の土と
いしころで 裸電球のおれんじが
光ってました。
家と家は100メートルのあき
畑で さやえんどうなど
栽培されていました
竹林のなかでへびが
遊んでいました
空気は透明で リヤカーで
地元の野菜を売りに
きていました
かつおぶしを削り器でけずって
風呂は銭湯通い
にぎやかな 人の声が
ひびいていました。
町はまだ大きな市に
統合されていませんでした
ボンネットバスに
車掌さんの切符売りのこえが
バスのなかにひびいていました
おんぶひもでおんぶされながら
三つ四つぐらいのバス停でおりると
市役所と保健所があり
予防注射をうたされました。
ややくらめの紗の かかる
空気のいろの中で
いのちが息づいていました。