霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。  -6ページ目

  霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。 

電話占い、霊視鑑定の依頼をしなくてもがんばれそうな内容、精神面の強化につながりそうな事を主に書いてます。
不思議な話、幽霊の話、霊視鑑定師としての日々、葛藤など占い師として率直に思う事も書きます。

あまり、書きたい内容ではないけど、
誰にでも多かれ少なかれあると思うから書いてみる。

人って、活かす部分を活かしてないと、
ロクでもない方向に自分が傾く。

私もそう。

人って暇だとロクな事を考えない。
っていうのが適切な表現かと。

でも、私も、あなたも、それに気が付いていない。
暇なだけだって。

暇ってロクでもない。

暇というのは、心の隙間。
嵐が通り過ぎて、嵐の最中の必死さが無用になって、

余ってしまった行き場のない自分。
これに気づけばまだマシで。

暇な心をすぐ何かにさらわれてしまったら、
厄介ごとの渦中に人にすぐなれる。

暇と孤独はどこか似ている。
暇という孤独に耐えられない人は、

そこを埋めたいと大騒ぎする。

そうなのか、どうなのかを知るポイントとしては、
そこに何が見いだせるかという目標と、
(大抵そこにそんな現実は無い。)
人に迷惑を掛けるボリュームを見れば、

気が付くのかもである。
こんな失敗は私も沢山している。

世のためだ、って動いて人に迷惑を掛けることも、
自分のためだって動いて人に迷惑を掛けることも、

どちらも同じ。
迷惑でしかない。

自分一人で当たり前に出来ることを、
相談する馬鹿はいない。

そこに無理が無いからだ。

しかし、日常生活において、
暇つぶしのボリュームが大きすぎた人にとって、

これに気が付くのは難しい。
孤独というただの暇が、
孤独という恐怖ぐらいに思えるからだ。

いや、それは勘違い。

ある人の相談のひと段落が付いた。

本気で自分を見つめる人というのは自分の気づきに貪欲なもので、
貪欲というより、

もう、変わりたい!
という強い思いが伝わる。

本人がそこを求め始めたら、

今なんだな、ってこちらも構える。

私の思考時間が会話に入るのは無駄だな、
と思って、電話を切る。

もう一度見直して、感情を拾い直して、材料を集め直して、

再開する。

そして電話を切って、まとめをメールする。
(気持ち悪いでしょ?それ、占い?内容によってはそこまでする。)

いつもはそんなことはしない。
(いつもやってたら死んでしまう。)
普通に会話の中で原因と様子とまとめを話しきる。
一つの相談は1回で完結。

とはいえ、
うぉぉ、いまだ、って私が決定しているのではなくて、
お客が自分のかけらが見え始めて、
完結させようと動くのだ。

占い師が最初にもらうヒント
『願望』。

願望って、時として、
その人の先を支えない場合もある。

希望って、
なぜ、自分がそこに向かっているのかすら曇らせるものもある。

欲求って、
弱い自分が武器を欲して、
武器が環境を爆破するほどになろうとも、
他をを圧倒する力に惚れてそれしか見えなくするときもある。

思いがある。
そこに、
悩みがある。

とはいえ、

その思いについていくことばかりが占い師でもない。
また、お客だって、願望振り回して、暴走する人ばかりでもない。

今のありさまから隠された自分を拾って、
疲れる人生から解放されたい人もいる。

気が付くかどうかの大きな境目は、

本気で自意識過剰であるかどうか、
とでもいうのかな。

自意識過剰と言っても、
我が周りからどう映る、程度の
低いものではない。

本気の自意識過剰だ。


あり?

話が自意識過剰万歳になってきた。
違うだろ。

うぉぉぉ。話がおかしくなりそうだ。

話を元に戻します。

自分の今、に必死になっている人が
色んな出来事を通じて、
血が出るほど一生懸命になって、
次の希望をぶつけている。

その姿って、

違う角度から見ると、
見えるのだ。

あたし、あたしこんなに一生懸命、
自分をさがしているのに、

あたしがそこにいないの!!!
というわずかに見えた自分の幻を必死になってつかもうとする、
必死さのあまり犠牲者が出るほどだ。

しかし、気が付いてないけど、
ホントは自分を取り戻したい姿だと。

そういう場合、
相談内容と、
解決内容が、

まるで異なる。
だからこそ、ちょっと時間がかかるの。

夢の先にみた自分の姿と、
他人の心の中に見えた身分の存在、

そこに震えてはいけないの。




これ以上考えたら、
頭から血が出そうで。

私、自分の事を考えるのが、

物凄い苦手。

まず第一に、
私は自分の演出というのは一切考えることが出来ない。

そこに、プライド、というものが、
まるでないからだ。

自慢できることではないが。
呆れるほど、美意識が欠落している。

この世には、沢山に綺麗好きさんとか、
美しくなりたいさんがいる。

にも関わらず、
不潔とは縁が深く、
美とは相当縁遠い、
このわたし。

『いまどきは、おばあさんでもしょっちゅう美容院に来ますよ!しっかりしてください。』
と美容院で言われたこともある。

他の美容院でも、
名前や住所を記載する紙に、目指しているイメージに〇を付けてください、
というところで、

…。
不明なので、
知的、かわいい、うつくしい、清楚、等々、
全ての項目を一つの〇で大きく囲んでみた。
当然本意ではない。
わからないのだ。

紙を受け取ったねぇちゃんが、
他の人とそれを眺めて、

笑っていた。
ウケを狙ったつもりはない。

そして、
『どうします?』と聞かれて、

どうにかしてください!
とだけ言っておいた。

私の美意識
『どうにか。』
結局、なんとなくいつもどうにかなっている。
お金を払っただけの事はしてもらっている。
常に理想が無くて、困らせているのだが。


あの、メークしてもらってきてもいいですか? 』
という質問に、

今度こそ。
と心にもないことを平気で答え、

『お願いです、突然来ないでください、予約して。』
と言われても、

き、今日は電話しました。
って、来る直前だろうが。

そういう美の世界の人には言えないが、

洗顔も、体洗った後のタオルで、
ガシガシ洗う。
ガシガシしないと気持ちが悪い。
痛い、ゴシゴシタオルである。
流す時も上から下まで一度で済む。

美しいものが嫌いというわけではない。
みすぼらしくなりたい、というわけでもない。
汚さを目指しているわけでは決してないのだ。

ただ、

人間、そうは変わらない、って信じているわけでもなく、
それを言い訳にしているところがある。

でも、本当にそう。

私の3日に一度はゴシゴシタオルで最後に洗顔、
(残り2日ぐらいは普通に洗顔、だけど、結局気持ちが悪いからゴシゴシになる。)
という習慣は、

20歳ごろより身についている。

人に話すと驚かれるが、
別に、何も変わらない。

『肌、きれいですね。』とすら言われたことがあるが、
私はひっそり、

じゃ、あんたも、ゴシゴシ教に入りたまえ。
と腹の底で思う。

化粧品購入時に、普段のお手入れアンケートみたいなものには、
真っ赤なウソを記入して、
面倒なやり取りから逃げてきたこと、
20年ぐらい。

そんな私が、
私の事について考えている。
たまたま、そういう機会があったからだが。

…。
無言。

ちーん。
ぽくぽく、…。

答えはいつ出るのだろうか。





あほう、あほう、あほう、…。

私は笑いを求めていた。
そして笑いに飢えていた。

う、う、わ、笑いたい。
だ、誰か、私に笑いを。

というわけで、
私は次なるドアホウ探検を考えている。

墓めぐりも飽きたしなぁ。
(どんだけ悪趣味。)

やっぱ空家で朝まで怪談?
(いやぁ、もっと老けそう。いや、捕まるな。)

お休みっていったら命の洗濯じゃ。

お休みにもの探ししてどうするねん。
野生に戻るのじゃ。

…、などと、何も考えなくていい夏休みを考えている。
あ、つまらなかった?ごめんなさい。

ここからが本題。

面白い!
私はある人の相談を聞いて肯いていた。

テーマは子供さんの成長であったが。

人って、一皮むけるとき、
もう一度、生まれるような状況になる。

そこには、もう一度、生まれるような条件が必要になる。
あぁ、これって、誰の話でも一緒やな、って。
 
どんだけ人の相談を見てきても、
条件はやっぱりほとんど同じ。

その人が生まれるだけの条件が揃っているかどうか、
それだけ。

そこに家族がある条件をそろえてくれるかどうか、
そこが問題やったり
生まれるその人が自分を信じれるかどうかが問題だったり、

一人の家族を誕生に導く、
その相談主が親である場合もあるし、

成長を願う、いや、
同じ失敗という苦しみからはい出る子供という本人が相談者である場合もあるし、
子供と言っても、年齢は大人。
中年だろうが壮年だろうが子供は子供。

コントロールの仕方がまるで異なる。

役割が違うから取るべき行動が違うけど、
家族という大枠で見たら、
揃える方向性は同じ。

同じ形=同じ条件=生まれる条件
を揃えるだけだ。

不思議なもんや。
どういう相談でも鍵はここで、
結局話す内容は同じになってしまう。

生めない=子供の変身に至らない苦しみも相当くるしいし、
生まれたい=悲運の連続からはい出るまでの苦しみもくるしい。

…、なぁ。

ただ、そのパズルを完成させる手前にあるのが、
その人個々の性質と運勢なだけで、

運勢がその人を変えるわけではない。
典型的なパターンを知って、
最後、生まれる条件を揃えるだけだ。

その割に、
みんな、相当苦しんできた。
絶望すら感じてきた。

構造が理解できると、

気が抜けたようになる人もいるし、
疑問が抜けてあっさり占いとお別れする人もいるし、
目の前の問題を諦めないで解決を目指す人もいるし、

逆に、

努力が見えて逃げたくなって絶望てきになるひとだっているし、
努力を理解しても3秒で明後日を訊ねる人もいるし、
分かりたくないのか、『分かるようで分かりませんわ。』を繰り返した人もいる。

いずれにせよ、分かる時が来る。
抜ける時が来る。

環境という胎内=という状況が行き詰った状況

それって、もう、その環境にそのままでいることが出来ないの!!!
って叫んでいるのと同じ。

ということは、本人だってわかっている。

じゃぁ、あんた生れ出るのかよ、
いや、母さんの腹の中で収まるのかよ、

生まれるしかないなら自分の力で解決するしかないし、
現状でいたいなら、それを満たす状況判断が必要で。

で、どうすんの?

現状に従順でいるの?
抜け出すの?

がんばれ、くるしめ、悩める人。
抜け出すまではみんなくるしい。





うーむ。
早う更新してください、と言ってくれた人数人。

書いては消し、消しては書いて、また放置。
何にしようかな、って選んでいるうちに全部忘れてあたま真っ白。

おぉ、久しぶりにまた動いたな、
と思う人が。

いやぁ、ホンマに長かったな、
この人の苦痛。

犯人がネギを背負ってわざわざやって来た。

『私があなたたち家族を苦しめて陥れた犯人です。証拠も確かです。』
となぜか以前より怪しんでいた部分についてペラペラ語った。

条件はそろっているが、
どう対処するのが、

今までの苦痛を消し去り、
この親子の不幸の連続を止めることになるか。

金掛けて殴るのは簡単。
しかし、一番望ましい動き、
ここにかなりこだわった。

実際にはどうなるかわからんが、
いつの日か、乗り越えた後にお互いに笑いたいから、
やっぱり、慎重になる。

…、というような、
人生の構造がある日ある決断から、

ガバっと姿を見せる時がある。

日々日々、何をどうしても変わらない年月から、
事が動く時ってくるのである。

何年何十年って動かない運が動く。
こういうのを何度もそばで拝見させてもらって思う事だが、

運って動けばいいってものでもない。
動いても動かされる本人に精神面での変化が無ければ、

一時の大波は過ぎ去って元通り。

恋愛なら、うぉぉぉ、ビックウェーブだ!!!
という一瞬の奇跡を見て、

元の生活に戻って病気になる。
というのも同じ。

なぜ、それが発生し、何を変える必要があるのか、
要するに今までの失敗の連続の自分を変えれる機会に変えろということね。

だから、今回の件だって、
いえ、人生に関わるレベルの今回は、

本人の生き様を変えることも大事で、
生き様が変われば自然と選択が変わる。

そこまで見てみたいのだ。
こういうところは手を抜きたくない。

だから明らかにわかる罪がそこにあっても、
殴り方が自然と見えるまで時間をかける。

人生の傷の修正。

そうか。

先日、お客の鑑定をしながら、展開と結論を言いながら、

唸った。
仕方がないといえば仕方がない。

山が高く壁が厚い
ともすれば永遠のテーマになりそうなくらいの挑戦、

そういうものに限って、
色んな苦しさがやってくる。
生きているのに死んでいるようになる。

前に書いたブログ、
似ているといえば似ている。

世のため人のために苦労する、
大事な人の将来を案じる、

乗り越えるのか、
見て見ぬふりして楽に逃げるのか、

これって難しい選択だ。

勝手で我侭な人間相手に
自分の神経をすり減らすのはただの無駄だが、

苦しい人たちの役に立ちたいと、
ものすごい課題に向かっていく労力、
すごいけれど、

生きているうちに世界を変えてあげれないかもしれない。

うーん。
こういう時、

何を支えに進むであろうか。

でも、そのお客の相談の中には、
明らかな道の先、が見えていた。

見えているけど、
理屈で考えたら、
容易ではない。

だからといって逃げ出しても、
その人の目に、耳には、
誰かの悲鳴が届いている。

無理だと思って崩れても誰も責めれる話でもなく、
そうは言っても通り過ぎたら、

自分の心は振り返る。

…、ねぇ。

遠い高い夢、
一歩間違えば夢見る馬鹿。

到達しなければただの妄想。

でもだね、
到達することで現実ともなる。
到達しなくても、近づこうと努力する姿勢に
もし、苦労の連続しかなかったとして、
それで人生が終わったとして、
何も残らなかったとしても、

ただずっと追う姿、
これを自分が理解して認めれば、
自分さえ自分を否定しなければ、

その努力は無駄でも馬鹿でもないのかも。

まいど。

今日はこれについて書く。
この失敗をする人は、

私。
も含めた、運勢の形による人と、
相手側の運勢に巻き込まれた一時的な人と両方いる。
(星の解釈は長いので任せます。)

…、はははは。
自分の誠意がまるで無駄。

時間を削って、体力消耗して、
咽が涸れるまで叫んで、
相当考えて、

全部無駄。

無駄ばかりではない、それどころか、
その状況に陥ると、周囲の運勢全般が悪くなって狂いだす。

こんな恐ろしい状況について。

ここまで書いて、心当たりがある人が結構いるとは思う。
具体的に状況を例えると、

うーん、

恋愛相手との力関係、
自分のの忠告を無視するタイプに自分の誠意をぶつけまくっている状態。
もっとひどいものでは、ふんふん聞いて全く実行しない相手。
それこそ、色んなことを例に出して、色んな恐怖をあおりたて、どうにか分からせようと、
命がけで無意味な説得。

似た状況は
家族関係でも、
友人でも、
周囲のだれも知らない知人でも、

誰にも言えない秘密の相談、秘密の欠点、
っぽい匂いがすれば、尚怪しい。

密室の説教、のつもりが、
密室勘違い殺人。
誰が殺したって、自分で自分を密室で殺した。

抜け出せない密閉された空間。
自分の誠意が自分の世界を狭くする。

正しいことを何度も説いて世のため、人の為に努力した。

今、その状況に取りつかれている人がいたとしたら、
ちょっと考えてみてほしい。

この密室勘違い殺人。

相手を悪の道から救い出したい。
相手に正しく生きてほしい。

等々、動機は尊敬するほど美しい。
心が美しいだけで何の役にも立たないのだ。

この構造、当の本人は自力では中々自分を救えない。
こういう最中って、気が付きようもないのだ。

だって、自分の世界、視覚的には解放されているから。
物理的には自由に生きようが何でもできる、そういう視覚的な環境がある。
情報だって遮断されているわけではないから自由なはず。

しかーし、
私という怪しげな気の鑑定研究家(嘘をつくな。)
の立場から言わせてもらうと、

アホや。
騙されとる。

という結論になる。

理由を述べる。
人が出力する精神エネルギーには限度がある。
例えば、他を圧倒するような空間支配、
これにも限度がある。
洗脳だって限界がある。

え、ちゃうやん。
だって芸術って結構広く個人が作り出したものを大勢が認めているやん。
と思いそうだがそれは違う。
それは共感という他人のエネルギーとうまく絡まっているから広がりが大きい。

逆に言うと、突飛押しもない極端な意見って、
周囲に刺されて広がらんでしょ。
それと一緒。

特殊関係という狭ーい密室の二人では、
恐ろしい価値観が生まれだす。

部屋が狭いんじゃなくて、
関係が特殊に深い。
これが狭小密閉空間の構造。

視覚的には空は青く、地平線は限りなく続いているが、
そんな密閉状態に精神状況が置かれていると、

自然から、他人から、社会から得るはずの
流動するエネルギーに出くわすことは出来ない。

もっとわかりやすくすると、

通常の環境の中に、
自分だけ透明の風船の中にいるとでも言えばいいのか。
大自然にいようが、大都会にいようが抜け出すヒントと出くわさない。
自分を救うエネルギーに出会えない。

新しい会社とか新しい男とか新しい知人とか。

別の例えで言えば、
無駄な誠意放出に魂奪われて、ゆーれいみたいになってしまって、
誰も助けてくれず、異性運ゼロになって、社会運ゼロになる。
魂のないゆーれい、誰もその人が目に入らないから救えない。

もっとひどい状態だと、

あ、ヒント発見!
って拾い上げたら、

そのヒントは、密室のドアノブを握って離さない、
誠意を受け取らない相手に役立つもの、

自分の肝が抜かれているので、
何をやっても自分に戻らず、どうにもならない。

なーんて事態にもなる。

誰にも出会わないのです。
動いても動いても苦労しかないのです。
誰もわかってくれないのです。

という状態なら、ちょっとこの内容について考えてみてほしい。
振り返るポイントは、

誰かに異常なる加担をしてないかどうかを。

私、私は占い師、仕事柄、お客に加担することはよくある事。
加担が行き過ぎて、答えをブログで書いている。はは。
初回鑑定の前にお客の必要とするものを拾い上げることなんてしょっちゅうだ。
(占い師って悲しい仕事です。)

しかし、これは仕事だからいい。
仕事だから、そこをうまく使って与えられた時間以上に収集した情報を渡すことが出来る。

でもですね、
相談業でもない普通の人がこれをやったら、
無料でやったら、

運は全部止まる。

しかも、あ、まずい、じゃぁ、やめよう、なんて出来るレベルなら、大した被害はない。

完全なる密室=相手への特殊な思い
が成立すれば、

説教と忠告は、
説教病と忠告病に変化して、

本人を蝕む。

相手との関係が家族、恋愛、影の友人、と
特殊になれば、もう壊そうにも、自力で壊すのは、難しい。

なぜなら、その構造の後ろには、
更なるその構造を作り出す条件、

あなた自身の特殊な精神構造があるからだ。

なのーで、私がこういうものを見る場合、
そこの人間関係の癒着の指摘もするが、

元々の原因であるその人の構造が自立するように持っていく。

じゃないと、折角解き放った、
おかしな依存関係って、

形を変えて、違うところで同じ形を作り出す。
匂いの違う同じ失敗が残るだけ。
面白いように成長しない。

それが不愉快だから、
根っこの部分から手を付けている。

誰?
これ知りたかったの。






いらっしゃい。毎度どうも。

結局こういうこっちゃいな、
私はある相談2件を見てそう判断した。
でもこれ、相談の全てに言えることである。

「運営力」なんか「消臭力」みたいな、名前。
でも事業の運営というわけではない。
生活全般を動かすうえでの力である。

だからみんなに大事な事である。
(私なんか腕に彫っておくほど大事な事である。)

それを教えてくれた2件、
相談内容はどうでもよく、むしろ根本的な問題は、

『暮らし方』なのだ。

暮らし方、それひとつでそのひとの弱点が現れ、
暮らし方ひとつで、弱点が見るのも恐ろしい絶対に勝てない自分を作り、

そのままの形で流してしまう。
楽しくもないのに、そのままでいるのだ。

二つの相談に共通しているのは、

『幸せを放棄した人』ということになるだろう。
逆に言うと「幸せを放棄しない事」=運営力、なのであろう。

放棄の仕方も人それぞれで違いがある。
その放棄のパターンが異なる相談、

一つは、結構典型的、同じような人が世間には山のようにいる。
『自分の日々の気分を自分では救えない』タイプ。

日々が楽しくなくて、我慢一杯だから、つい、あらぬ幸せを眺めるようになる。
根拠もなく待つことになる。
他人がもたらす幸せにすがり追いすがるようになる。

だからこそ、一時的に見せつけられた他人を伴う幸せに病的にすがる。

このパターンが生み出す悩みの典型は、

恋愛依存、鑑定依存、働きたくない病、
結婚で人生を変えたい婚活病、
有名人になりたい病、等々である。

どれもこれも構成は、現実逃避。
自力で成立しないものを求めているだけである。

それに対して、もう一つは、

「日々の気分的な幸せを追求しすぎた」失敗。
日々の多幸感を追求しすぎたパターン。

精神の闇が一番怖く、そこから逃げるように日々を作る。

簡単に言うと、精神的に堕ちるという事は、
その日の自分が耐えられないから、という理由で埋め合わせをする。

そうすると、驚くことに自分が一番修正するべきポイントをすっかり忘れて、
大問題が一番最後にその人を襲う。
その襲い方ときたら、恐怖映画。

名前を付けるとしたら、
「王様にこだわりすぎました。」病、かなぁ。

これら、二つの違いは、

問題がじりじりと時間の経過とともに忍びより、
真綿で首を絞められたような不幸感。

大問題がケツのケツで襲うように、
勃発の仕組みを作る不幸感。

大そう違うが、どっちも結局話にならない。
(私は小刻みな雪崩を毎週、毎月、毎年発生させる。)

失敗のパターンの形が違うだけで、どっちもこっちも、
「運営力」の無さが原因。

運営力?私が勝手に命名した、
運を維持する力。

そこをへこませる一番の理由は、

一人であることを恥じること。
みっともない姿を恥じること。
馬鹿であることを恥じること。
貧乏、不細工、不幸、モテない、もう、何でもいい。

要するに自分の姿から逃げることやろうか。
でもそこからしか始まりはない。

始まりから逃げたら、解決もない。

しかし、その個々の問題って本当に素晴らしい。
明確にその人がこの先伸びるためのヒントが山ほど隠されている。

そのヒントを拾い上げる勇気一つで、とっても個性的な展開が待っている。
どんな苦しい壁を感じても、こなすアイディアは満載である。

仕事を選ばない勇気も、
年をとりすぎた自分を諦めないことも、
キャリアがない自分から逃げないことも、
貧乏な今から逃げ出さないことも、
アホな自分であきらめないことも、
喧嘩が嫌いと逃げないことも、
今、健康を維持して生き残らなければならないことも、

自分で作る幸せを放棄した人に、
永遠の幸せなど降って湧いてくる訳はない。

…、という、一見するとイタイ話。
でも、そのイタイ、は、よーく見ると、

自分だけの大事な舞台という愛すべき本当の課題を抱えた自分。

自分の将来を変えたいなら、その個性豊かな弱点、
そこからこのすごい個性的な出発が待っていることを、
ちょっとでも感じることが出来たら、

大成功でしょうね。










さて、次。

おるおるおる。
あなたを理解してくれる人は絶対にいる。

いるからこんな風にブログを書く人間もいる。
(あ、違う?私じゃない?すみません。)

でもな、それを見つけるには、
結構な旅なのよ。

さっき書いた内容が最初の出発点だとして、

出発するには、
いつもの癖だらけの自分とはお別れしないとならない。

鑑定なら、そこはお別れより、誕生のほうに力を入れるから、
お別れの苦しさはあんまりないが。

どっちにしても、

分かってほしい自分がいるから、
叶えたい夢がある、

というのが一番の誤り。
一見すると素晴らしいセリフに見えるけど。

分かってほしい、
をガンガン進めると、

例えば恋愛。

絶対に失敗する。

自己アピール。
優しい自分、
尽くす自分、
役に立つ自分、
美しい自分、

という意味不明な姿が、
自分の首を思いっきり絞める。

思いっきり。

なので時間の勝負には絶対に負ける。

こうならないようにするには、

あなた、というその姿、
本当の姿になる勇気を持つことだと。

本当の自分の姿をいつでも示せば、

周りはあなたを理解する。

しかーし、ここで、
見せられない自分がいるなら、
その力を、どういう風に変換するか。

何ていえばいいかな、

じゃぁ、その見せられない姿というのは、
どういう自分になってほしくて、悲鳴を上げているか、

ここを理解すればいいの。





というタイトルで。

根性でも糞意地でもやり切れないほど大きな問題を抱えている時、

一番の問題になるのは、

ある自分の姿の形。
性格のせいにするのは勿体ない。

そうではなくて、

周囲との関係に注目して、
その姿を変えるところから始めるべきかと。

ある人から映る自分の姿、
今まで通してきた自分のやり方、
自分という個性、

ここから離れる条件が欲しいところです。

大したことないと思っているでしょ。
いやぁ、ものすごく、ここに原因があると思った方がいい。

例えば、家族、良く知る人の前での自分の姿って、
結構固定化されていても、

自分の事を何も知らない人の前では、
あれ?っと思えるほど違う自分が出てくることはある事でしょう。

ま、色々、条件もありますが、

周りの環境に合わせた自分がいることというのは、
その環境における自分の姿を、

知らないうちに維持するエネルギーが発生してるという事です。

私は鑑定で、周りの環境より、その人を中心に見て、環境にも勝てるその人を作ることを目標としてますが、
もし、そいういう余裕がなければ、

作る自分、
賢そうなふり、
偉そうなふり、
強そうなふり、
言い訳に時間を取られる自分、、
面白くもないのに笑う自分、
聞きたくもないのに親切な自分が聞き入れる時間、

ま、あげればキリがないですわ。

そういう自分の時間を切り捨てることは、
物凄い大事。

そこから初めて自分の姿が現れて、
いつもの自分の苦しみをようやく見ることが出来る自分になる。

そんな感じだと思いますよ。
って誰に書いているやら。

はは。