いらっしゃい。毎度どうも。
結局こういうこっちゃいな、
私はある相談2件を見てそう判断した。
でもこれ、相談の全てに言えることである。
「運営力」なんか「消臭力」みたいな、名前。
でも事業の運営というわけではない。
生活全般を動かすうえでの力である。
だからみんなに大事な事である。
(私なんか腕に彫っておくほど大事な事である。)
それを教えてくれた2件、
相談内容はどうでもよく、むしろ根本的な問題は、
『暮らし方』なのだ。
暮らし方、それひとつでそのひとの弱点が現れ、
暮らし方ひとつで、弱点が見るのも恐ろしい絶対に勝てない自分を作り、
そのままの形で流してしまう。
楽しくもないのに、そのままでいるのだ。
二つの相談に共通しているのは、
『幸せを放棄した人』ということになるだろう。
逆に言うと「幸せを放棄しない事」=運営力、なのであろう。
放棄の仕方も人それぞれで違いがある。
その放棄のパターンが異なる相談、
一つは、結構典型的、同じような人が世間には山のようにいる。
『自分の日々の気分を自分では救えない』タイプ。
日々が楽しくなくて、我慢一杯だから、つい、あらぬ幸せを眺めるようになる。
根拠もなく待つことになる。
他人がもたらす幸せにすがり追いすがるようになる。
だからこそ、一時的に見せつけられた他人を伴う幸せに病的にすがる。
このパターンが生み出す悩みの典型は、
恋愛依存、鑑定依存、働きたくない病、
結婚で人生を変えたい婚活病、
有名人になりたい病、等々である。
どれもこれも構成は、現実逃避。
自力で成立しないものを求めているだけである。
それに対して、もう一つは、
「日々の気分的な幸せを追求しすぎた」失敗。
日々の多幸感を追求しすぎたパターン。
精神の闇が一番怖く、そこから逃げるように日々を作る。
簡単に言うと、精神的に堕ちるという事は、
その日の自分が耐えられないから、という理由で埋め合わせをする。
そうすると、驚くことに自分が一番修正するべきポイントをすっかり忘れて、
大問題が一番最後にその人を襲う。
その襲い方ときたら、恐怖映画。
名前を付けるとしたら、
「王様にこだわりすぎました。」病、かなぁ。
これら、二つの違いは、
問題がじりじりと時間の経過とともに忍びより、
真綿で首を絞められたような不幸感。
大問題がケツのケツで襲うように、
勃発の仕組みを作る不幸感。
大そう違うが、どっちも結局話にならない。
(私は小刻みな雪崩を毎週、毎月、毎年発生させる。)
失敗のパターンの形が違うだけで、どっちもこっちも、
「運営力」の無さが原因。
運営力?私が勝手に命名した、
運を維持する力。
そこをへこませる一番の理由は、
一人であることを恥じること。
みっともない姿を恥じること。
馬鹿であることを恥じること。
貧乏、不細工、不幸、モテない、もう、何でもいい。
要するに自分の姿から逃げることやろうか。
でもそこからしか始まりはない。
始まりから逃げたら、解決もない。
しかし、その個々の問題って本当に素晴らしい。
明確にその人がこの先伸びるためのヒントが山ほど隠されている。
そのヒントを拾い上げる勇気一つで、とっても個性的な展開が待っている。
どんな苦しい壁を感じても、こなすアイディアは満載である。
仕事を選ばない勇気も、
年をとりすぎた自分を諦めないことも、
キャリアがない自分から逃げないことも、
貧乏な今から逃げ出さないことも、
アホな自分であきらめないことも、
喧嘩が嫌いと逃げないことも、
今、健康を維持して生き残らなければならないことも、
自分で作る幸せを放棄した人に、
永遠の幸せなど降って湧いてくる訳はない。
…、という、一見するとイタイ話。
でも、そのイタイ、は、よーく見ると、
自分だけの大事な舞台という愛すべき本当の課題を抱えた自分。
自分の将来を変えたいなら、その個性豊かな弱点、
そこからこのすごい個性的な出発が待っていることを、
ちょっとでも感じることが出来たら、
大成功でしょうね。