霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。  -7ページ目

  霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。 

電話占い、霊視鑑定の依頼をしなくてもがんばれそうな内容、精神面の強化につながりそうな事を主に書いてます。
不思議な話、幽霊の話、霊視鑑定師としての日々、葛藤など占い師として率直に思う事も書きます。

「先生、昔のブログの○○、残してくださいよ。」
と、お客から言われて驚いた。

あんなもん、どこの誰に必要なんじゃ。

「でも、私みたいな業界(?)の人間だけじゃなくって、他の世界の人でも分かるような大事な話なんです。」
って言われたが、言われるほど自分を疑いたくなる。

2009年のブログ。
確かに、これを覚えていて指摘してくれる人は他にもいた。

私は自分の書いたものに全く興味がない。
本当にどうでもいいので、月日が流れてまとまりを失ったから、

全部捨ててしまった。
こだわりがないから思いったったらすぐできる。

しかし、そんなことを言われて指摘されたブログを拾ってみた。

…。
ちょっと感動。
内容に感動、ではなくて、
当時も必死に人の頭の中をしっかり追って書いていたんだな、
ということと、
人の疑問の中に何かを解こうと集中している自分を見つけた、
そんな気分になれた。

なんだか、気分が変わった。
ありがたいことである。
と、思ったら、テレビで、
私が当時書いたブログと同じような研究をしている人の番組が流れて、

ほーれ、だからそうやんけ。
って思わんでもなかったけど。

それより、何より、
当時の私が、霊視鑑定で人の頭をそれほど真剣に見ていたのだな、
逆に言うと人の悲鳴にそれ程しがみつく自分がいたんだな、
今と変わらない、いや、昔の自分の方がずっと純粋だな、
それだけは取り戻そう。
と思えた。

やっと何かが終わった。
そんな感覚でいる。

そんな私も
何かに取りつかれたうちの一人だろう。

という思いを与えてくれたのは、
2年越しの鑑定が驚きの結末で終わったことを知ったから。

ある人の深い鑑定、
芯の部分に潜んでいたのは、

一人の死人。
これを感覚で見つけたお客はすごい。
見たこともない昔の死人に対する自分の感覚のおかしさを伝えた。
私は、ただ、解釈の手伝いをしたに過ぎない。

この人が自分に降りかかる現象を自分で解釈するようになる道のり、
あちこちの精神世界を巡り、私とも接し、
私はこの超敏感アンテナを持つ人の自立に、
お付き合いさせていただいたに過ぎない。

そのきっかけは、
ある出来事から始まる。

この人のほのかな幸せの時、
幸せを抱えてやって来た出会いに浸った後、
理解しあえない憎しみと悔しさを抱えた入口に辿りつく。

その入り口には、ある古くさい死人が手を拱いて待ち構えていた。

その後、沢山の困難に触れた後依頼になって、
丁度2年。

憎しみの出口には、
この人が愛した、今となってはもう届かない
憎んではならない人が証拠を残して訴えていた。

うーん。
こういうパターン。
…、言葉を失うな。

この人が自分の人生を大事にする大きなきっかけ、
そこに登場した二人。

一人は家で待ちわびていた古臭い憎しみのゆーれい。
一人は生きて分かりあえない愛する相手。

お互いの理解は愛の深さとは懸け離れて、
誤解に悲しみに憎しみに怒りの日々、

想像やけど、その人が現れた時、
多分この客の運勢は向上しとったはず。
分かりあえない憎しみに振り回されて環境が良化していることに気が付かんかったんやな。

ほんで、勢い余って全力で憎しみに変更。
そこで古臭いのの出番が始まった訳やな。

なぜ2年。

2年の理由はこの人の愛、
これが復活して、古臭いのが入る隙間が消えたから。
過去の誤解だらけの憎しみの出来事に注目してそこだけの鑑定をする時があったから。

過去の愛に注目してそこに対する考え方に力を入れただけで、
お客は直後にその人が守りの人であったことが分かる証拠を拾った。

そういうこっちゃ。

生きてる人でも死んでる人でも支配の領域は似ているな。

うーん。

表面は憎しみ合い。
でも環境は向上。

そら、選べれんでしょ。







私のこの気持ち分かってもらえない、
俺でも私でもいい。

その時、相手を動かす事より、
自分の叫びを聞いて欲しい。

自分の気持ちを汲んでくれる人、
本当はそういう人を自分が欲している事を。

今、分かりあえない相手を分からせるという長すぎる闘いと、
自分を理解してくれる人を選ぶという

二つの違い。

占い師としてここをどう見るかというと、
霊視におけるその人の物の価値観考え方、、

というのもあるが、

もう一つは、星、この本来の性質として外せない、
その人の物の考え、物の見方にも答えが書いてある。

本来、人は、自分の枠に合うものだけを見つめれば、
そんなに不条理な事も起こらない。

しかし、世間の中の自分を作ろうと、

世間の常識を全て網羅しながら生きようとする場合、

例えば、一人としか結婚できないのに100人から好かれたい人やら、
世界中の人と親しくなりたいと無意味なところに関心があったり、
非常識と思われたくないから常識を自分に無関係な領域まで求めたり、
凄い人、と世間を唸らせたくて、あらぬ方向を見ていたり、

要するに目の前の人に注目できないその人の何かが大きければ大きいほど、

その人は目の前の人を理解することは放棄する。
そして分かって欲しい自分の声は小さくなり、
無視される。

…。

じゃぁどうすれば、とやきもきする気持ちも分からんでもないですが、
どうやっても同じ時を感じることが出来ないのであれば、

まずは自分の悲鳴を先に聞いた方がいいと思います。

その時、
その時から、

あなた自身の人生が始まります。

どうか、そこから逃げないで。



くんくん。

私はきっと何かを追いかけている。
久しぶりじゃ。

誰の何を追っているか、
全く分からん。
逆に誰かの何、って分かってしまうと興味が失せる。

仕事の最中は当たり前だけど、お客の空気と流れを追う。

しかーし。
あたしだって人間。
仕事以外のことに興味を感じて、
暴走したくなることもある。

いや、そんなんばっかり。
しかし、ここのところ、時間が無くて。
暴走する的が無かった。

暇をぶつける的が欲しかった。

目的ゼロで、何かが騒ぐ。
ふんふん。

仕事から頭を外した探検が、
ものすごく自分を生き返らせる。
(だから仕事に没頭できない。)

訪れたのはある地。
20年ぐらい興味があったくせに行く機会がなかった土地。
なぜか先月、2度も行くことになった。

やっとだぜ。

むかーし、若かった頃、よし、時間あるから入国しようと、
決意する前に、アホな出会いに首を突っ込み、直前で

失敗したり、

何度も望んで一人旅行しようとガイドブックを買い込み、
結局、古くなったガイドブックだけ何冊も残った。

…、今回は!
今回だけは、邪魔されてたまるか!!!!
(邪魔をするのは日常に捉われた自分。)

という思いで、
数か月前から図書館でガイドブックを借りまくり、
読んで読んで読み倒した。

そして、歩いて歩いて、歩きまくった。
東京で車ばかりの生活のツケをどうにかしたかった。

ついでに四柱推命の鑑定も2件頼んだ。
鑑定内容も知りたかったし、
どの星を見て物を言っているかも教えてもらえ、
日本人の視点とあんまり変わらないのね、
いつも聞く内容とそう変わらんな、
と思って、聞いていたが、

多分、そういうことだけではない。

この土地、この人達、あれもこれもどれも、
の中から、

色んな学びと、
休息がほしかったのだと思う。

ここ、まだまだ探るぞ。
お客も住んでることやし。





どこに行って何を相談しても、
現実と正反対の結果をアドバイスされる。

言われたことすべてが外れてしまう。
うんうん。これはよく分かる。

こういう嘆きを聞いたことは今までに何度もある。

そういう時、その人の運が落ちていた時や、
とか。
腕の悪い人に聞いたからじゃ。
という事ではないと思う。

ココから書くことは到底理解してもらえる内容ではないけど、
書いてみることに。

うまい言い方が見つからないが、
物凄い当たる占い、とか的中率500%とか、
そういう人がおられたとしても、

聞き手であるその人が現状、
どういう運の縛りを見えないところで受けているのか、
それによっては、

誰が何をどうかかわったとしても、
解決らしい解決には至らない。

…、あきまへんな。
もっと分かりやすく書こう。

例えば、
ある人の下にいるストレス、
ある人から知らず知らず受け取っているプレッシャーの下、
何らかをつかんで必死でいるような時というのは、

どこに改善策を聞いたとしても、
あんまり、納得できない結果をもらう。

壁という大きな障害に、
助けて~!!!
って悲鳴を上げているのと同じような状況になる。

相談相手は人間なので、
だから必死に訴えるのだが、
その人と周りの性質を物として見つめたら、

壁に叫んでいるのと変わらないような状態。

ある時はこういわれ、
そして、またあるときはあぁいわれ。
はたまた、あるときは、大丈夫、と言われる。

大丈夫じゃないから叫んどんのじゃ!!!

って言いたくなるだろう。

そういう時、一番気が付いて欲しいのは、
根っこにある本来の壁の存在。

元々の自分の生活の枠という奴だ。

そこが無反応の壁であることを知らずに、
その世界が普通であると錯覚し、
その枠の中で何をどうもがこうと、

周りは全部壁になる。
という仕組みがあったりする。
かも。

これ、他人のせいにしなくても、
自分の心の中にはっきり分かる壁を持つ人もいる。
そっちの方が解決は早い。

外側がはっきりしている人と、
内側がはっきりしている人、

両方いる。
ニワトリ、タマゴの世界であるが。
外があるから内が成立するのであり、
内があるから、そのような外と縁が出来た。

もっと分かりやすく書くと、

ある大きな壁が存在する。
壁の所有者にとっては、
自分の世界、
本人の立ち位置、に相当な希望があるとする。

典型的に分かりやすいのは親子関係。

そこに気が付かないで存在する困り果てた人。
生まれながらの環境であれば、中々気が付きにくく、
後々の環境で発生したものであっても、気が付きにくい。

根っこが互いの依存心で絡み合っているからだ。

気が付かないから、
改善もちょっとだけ遠い。

壁になる相手の方が、
希望する土台を作る能力にたけていれば、

それも知らないで、世間をフラフラ、
どこへいっても何をしても、
安住の地が見つからない。

一つの運の奪い合いの構造とはちょっと違って、
一つの世界の見せ方の戦い。

一人が世界を黄色く塗れば、
その世界で茶色を探すのは困難。

流行、という言葉がこれに似ている。

一人が青に世界を染めたら、
いーや、この世は真っ赤赤!
と塗り替えていく人もいて、

そんな闘いの後ろから、

面倒じゃ、なら電気消したる!
とその世界を真っ黒にする人もいたりする。

こういうもののもっともっと小さい規模のものが、
人と人の間に存在する。

世界を示す人と、
その世界から抜け出さないで、
ある価値観の元世間を見る人。

抜け出さない、というより、
抜け出すアイディアが無い、ということだ。
そこが出口であることに気が付かない。

そうなのよねぇ。

これ、もっと分かりやすく納得しやすい説明があるといいんだけど、

個々に内容って違うから、
個々、になってしまって、

人様が読む、という大人数に共通して言えて、
共通して理解できる、

そういう説明の仕方って、

うーん、そうだな。
とりあえず、世界を見せる方も、
見せられた方も、

どっちにも強い恐怖心がある、ということかな。

タダの恐怖と
失う恐怖。

なので、何も考えないで、
自分の弱さだけ見つめて、

その克服、どうしたらいいかなって、
一人で考えることが、

最初の一歩かな。

お、お久しぶりです。
いつもながら長い放置でごめんなさい。

読んでくださる方は、おそらく、ほとんどが、
更新した時だけ訪ねてくれる。
そんなくせに、

あれよこれよと、つまらん用事に心奪われ、
ブログからほど遠く、どこかの果ての果ての果てで、
まるで違うところを見ていた今日この頃。

仕事をしながら思う事は常に何かあり、
そのテーマを思いっきり考えてしまう。

今考えるのは、鑑定の手法かな。
どういう鑑定が一番いいものであるか、

それは占い師という人は常に考えるでしょうし、
私もそのうちに一人。

鑑定で拾い上げれる情報は莫大。
そのなかで、相談する人に出していく情報。

この展開の仕方、
ようするに与えられた時間での一番効率の良い作りってどんなかな、
と考えていたりする。

つい、最近、お誘いいただいて、
イベント、というものに参加させていただいた。

初めて、ではないけれど、
初めてに近い経験だ。

あるイベントの中に私が突然存在する。
そこに訪れる人全員私のことは全く知らない。
そういう状況で、ごく、短時間で、訪れた人を鑑定する。

そんなような機会。

普段であれば、お客が私を見つけて選らんでいる、
そういう過程があるので、

どこかそういうのに慣れっこになっている自分を感じていた。

そういう自分の慣れから離れて、
誰をどこでどんだけ見ようが効果的、
そういう鑑定を探して見たくて、
お願いした。

時間にして4、5時間、
鑑定時間は15分前後、
主には暦をガシガシ見つめながらも、
霊視じゃないと到底無理な内容には、

何も知らない人に霊視鑑定。

私は、見る映像を外に映し出して見る、という方法を使っている。
対面であれば、会話の最中は目線も合わせるが、
(そうでないと怖いやろうが。)

『ちょっと待っててくださいね、この内容、霊視鑑定で見ます。』
と話した後は、

相談する人から目線を外して斜めとか、真横とか
とにかく、どこか壁らしきものがあるところを見つめる。

『あー、この人はね、こうなんです。…。』
といつも通りベラベラ話し出す。

暦を拾って語る時は、
当然、その星がかたる性質の特徴とか、
時期的に発生する勢いを語るに過ぎない。

しかし、話が込み入ったり、事情が発生すれば、
相手方の性質、その人の現状というのは、
どうしても霊視で見たほうが早いし詳しい。

しかし、

私はいつも壁を見る。
そして、更には、

何もない壁を指さし、

『だからですね、この人は、結局、こうで、どうの、』
等々、

…、
相談する側からすれば、
…、

なーんにも映し出されていない壁に向かい、指さす私。

は!
そ、そうだった、この人、私のこと、全然知らない人だった。
(常連の人なら私がどうだろうと気にもしないが。)

と我に帰って、

「あ、目の前にあるのは、ロッカーです。」
「ここに人もゆーれいもいません。」
「ここに映し出して見ているだけです。」

…、といいながら、

また、壁に向かって読んでいく私がいるのである。

あは、あは、あは。
これ、一生このスタイルは変わるまい。

かと思えば、

個人個人の意見や個々における感情を拾う時は、
壁を捨てて、一瞬自分の頭にコピーしたように入れて、
一瞬で外して、自分の客観的な意見を入れる。

その時は、お客と目線は合わせる。
黒板がいらないから。

しかし、黒板に拾い出すわけではないので、
お客さんが気が付かないスピードで、
そこをカチカチ変えていく。

対面だろうが電話だろうが、
私は主にこの3点から物事を見る。
場合によっては、それに二つぐらい見方が加わる。

ま、そういう風変わりな私にとって、
何も知らない人を目の前にする、
刺激的なお仕事、
これ、たまには気分転換にとってもよさそう。

そこでの鑑定は自分の名も告げないで終了させ、
この先お会いすることは無いのだが、

結構、納得いただけたご様子だったので、
ま、結果、良かったとする。

結局、与えられた時間、
次から次へと前後合間無く、
数時間、休憩もトイレも何もなく、

お昼から、集中してたら夕方になっていた。

めちゃめちゃ見つめたロッカーと、
普段の1日の鑑定数の5倍ぐらいの鑑定人数と落書きメモ。

あぁ、終わった。
帰るころにはちょっと放心状態。

フラフラあるいてコンビニのトイレに、
占い師がいつも使う暦を放置。

フラフラと、暦を見捨てて家に帰った。
(あとでコンビニに泣きつき送ってもらった。)

いやいや、こんなレベルでフラフラしている場合ではないな。

今回の機会を活かして、
もっと効率よい鑑定方法を作らねば。

ふんふん。



結婚。
相談者の多くがテーマとする問題。
独身女性で、この相談をしなかった人はいないくらいに、
大きなテーマ。

ここについて、ちょっと変わった角度から物を書くことで、
困っている人のお役にたてれば、と思う反面、

この社会構造が理解できなければ、
人口減少なんぞ変えられへんぞ、ボケ、あほんだら!
お前ら、事情をちゃんと理解してから、対処せいよ、
理解する気がないなら、とっとと消えろ。
他のいい人が対処してくれる、
もしくは、困っている人同士が知恵を出して変えていくから、
おかしなルールは作るな、アホ。

…、って私は政治なんぞ、興味のかけらもないが、
今、この先、結婚を考える人達の立場を考えたら、
何となく、こういってみたくなった。

私が思うところの霊視的社会現象。
…、って書いたら、皆が消える。

違う言葉にせな。

私が思うところの社会の性質、
それを、気、の流れて見てみたの。
聞いて。お願い。

こ、これでも、あかんわな、やっぱり。

とにかく、内容を書く。

結婚、所謂、昔ながらの結婚というのは、
男が家で威張り腐って、
知識、社会経験の乏しい女が、
使用人のように家を繕う。
馬鹿扱いされようか、
何だろうが、

その引き換えに、
生活、
というものが与えられる。

家で威張り腐った男が一応、
家を運営できる経済力を持ち帰る。

というのが全てではないけど、
ありそうな形。

現代、というのは、男女における社会での平等が、
曖昧に認められ、女性の活躍が否定されなくなった。

女性だって、大きな会社で働けるし、
結婚を引き替えに辞めないとならないわけではなくなって、

様々な専門業種に技能をもって存在できる。

ここからです。
よーく、この構造を横から見ると、

その会社、そこにいることで、定年までいようと思えばしがみつける、
定年までいることができなくても、今の会社で働いている、ということが
次の安心、色んな安心につながるから、

その会社にいることは精神面での安定につながる。
という社会での存在理由を完全に否定できる人がどれくらいいるだろうか。

会社で、大そうな人間と評価されなくても、
特殊な技能を持たなくても、
周りからいじめられようとも、

いる限り、お金もらえて、どこそこの人、
って言える関係。

これは夫婦。
人が会社と結婚しているのである。

女だけではない、同じ理由で存在するのは、男の方が多いだろう。

社会において、会社というところで自分を否定されながらも、
そこに存在する人、というのは、

社会的には、ある意味、
既に、妻なのかもしれない。

未婚なのに妻。
男なのに妻。

こんなことを書いたら、本当に嫌われそうだが。
村八分どころか、島流しにあいそうな私の考え。

男、という生き物の大雑把な性質。
女という存在を欺き、他人を乗り越え、自分の世界を見つけていく。

そう、会社、というところで男丸出しで戦う人は、
いつの間にか爪弾きか、島流しか、
逆手に出て独立する。

おかしな言い方だけど、
家庭を欺き好奇心を持って、表で挑戦する人には、
男、という匂いがあるのかどうかはしらないが、
他の女性との間に、色んな関係を作っては、

私みたいなところの相談の種となる。

裏切らない、虫の様な他所の旦那さん、
そういう人をどうにか手に入れたいと、
そういう相談はあんまりない。

その上、この景気の悪さ。

景気がいい時は、男も女も、都合悪ければ転職しても、
仕事って、そんなに困らないから、

会社が人を追いかける。
なので、当然自信も不思議と湧いて、
男も女も自由に生きれる。

誰もがおっさんになろうと思えば成れた時代。
そんな空気になれて後にいきなり不況。

おっさんになるつもりだった人が、
みんな嫁さんみたいになる。

嫁さんと嫁さん。
どっちも不安で相手の力に依存したい。

…。

せめて、どっちか片方がおっさんで、

おりゃぁ、私が世界を変えてやる、
あんた、あたしの背中に乗らんかい!
と言える女か、

社会で学んで社会を飲み込んで、
社会のパターンを持論で応用していくような男。

こういうのが勘違いでもいいから増えて、
社会をかき回していかないと、

嫁さんと嫁さんは、
動けない。
嫁さんは、嫁さんとは結婚したくない。

…、
ということである。
私の勝手な意見だが。

何いうねん、
共働きで上手にやっている家もあるやろうが、

という人もいるだろう。

違う違う。
そういう人は、個々が社会と結婚している。
夫婦の絆にたよる前に、
社会と自分という紐が個々に確立している。

こういう社会構造で、
人口を増やす、
というのは、

それなりの対処方法が必要となるわけだけど、
そのベースになるのは、

こういった、
社会と人。

女が無能で下敷きになる代わりに、
男は持ち上げられて、本人の力以上の実力を発揮して成長する。

こういうベースが現代の男性には、
あんまりない。

男が伸びにくいのだ。
草食とか、キリンに変身したのではなくて、

下敷きがいなくなったのだ。
これは男女が平等になったせいでもあり、
おかげでもある。

女は下敷きなど最初から無くても、
打たれ強い。

おとこには幻想があるほうがいい。
幻でも、家の中だけでは偉そうな、
そんな勝手な夢の世界が、男を支えるようだ。

さて、どうするんやろうな。
今更女を下敷きにするのは、
社会が許さんぞ。

かといって、

下敷きがない男、
こいつらに勝ち残る勇気を与えるには、
女を勝ち取る機会、

みたいなのがいるんやけど。
今の社会がこれに気が付いてくれるといい。

随分勝手なことを書いたようだが、

生きた女が支えにならない限りは、
現代の結婚は、個々が独立した結婚、になりやすいから、
離婚もたやすい。脆いのだ。

女性が女性の権利を求めることで、
男はうんざり放棄する。

あ、これ、社会の構造に文句言ってるだけになってしまった。

この先結婚を考える人、
今までの自分の失敗は、自分だけのせいでも、
相手の責任でもない、

という社会のベースがあったりする。
これを一度考えて、

今の自分をもう一度見つめてみて、
それから自分に合う人間を探したほうが、

楽かもしれない。






ど、ドキドキ。
対面鑑定についてご説明させていただきます。

ドキドキ。
というのは、

あくまで、予約制、という範疇でしか受け付けられないのと、
鑑定場所をレンタルで新しく持つことになったので、
(どれくらい続けられるかは私の余裕によるところです。すぐにやめたらごめんなさい。)
未経験なことは、慣れないのでちょっと緊張ですが。

言います。
(どうでもいい案内なんやから早う書け!)

事前予約でお客さん、私、レンタル場所の都合をつけてから、
になりますが、

東京駅近辺にて、
対面鑑定を設けることにしてみました。

時々、対面鑑定の都合を尋ねられたり、
遠方の方が、東京の用事ついてに約束したり、
私が出向いてみたり、

その都度、どうにかこうにかしてみたり、
今までよそを貸して頂いたり、
月極めで借りたはいいが、不便で逃げ出したり。
そんな過去があったような気もするが。

だから過去対面のお客さんも電話のお客になってもらったり、
対面鑑定はどうも、試行錯誤で放置でした。

いいや、ついでた、取りあえず、やってしまえ。
と思い、書くことにします。

とは言え、基本、
電話鑑定の効果の方が優勢だと思う私。
話に集中でき、視覚的にも、
霊視で追うものだけに集中できる、
お客の細かい声の動きに集中できる。
電話鑑定の方がお勧めだと思ってます。

しかーし、
対面してみたい希望、
というのもある、

お客さんも、見せたいものがある場合もあったり、
こちらも、視覚情報でわかっていることは省いて、
視覚的に捉えられないところだけ集中する、
という分別もあるのかもしれません。

とりあえず、開始します。

ご希望される方は、メールにて
お名前、お電話番号、
ご希望日程をお知らせください。
※電話鑑定の受付では対応できません。メールを下さい、連絡します。
当日の手配は、あくまで都合がつけば可能、
ということにします。
取れたら、よかった、ぐらいに思っておいてください。

朝9:00~夜21:00まで。
※予約が決まればいるだけです。突然来られてもおりません。

対面鑑定の料金ですが、
200円/分
※プラス、手配料として1000円となります。
(こんな感じの設定で様子を見たいと思います。)

20分(恐らく対面では無理だろうと。)
だろうと30分だろうと、
60分だろうと、120分だろうと、
手配料は同額です。

安いものでは決してないので、
ギリギリで焦って依頼されるよりは、

うーん、自分で頑張ったけど、
今日は聞いてやる。
聞くからには、何を聞くか、
予算はどれくらいにしようか、
あいている時間は、

と良く考えたうえで、
余裕のある時にお願いします。

こちらも、そういうつもりでおります。

可能性の問題として、
平日夕方までなら、結構都合つきやすく、
電話鑑定がありそうな夜になるほど、
その時による、
土日はお願い、前もって、

そんな感じです。
決済は、基本現金です。








※すみません、最近受付の番号を変えたのですが、
(やり方は、今までと全く同じです。鑑定依頼の旨伝えてください。)
どうも調子が悪く、繋がらない時があります。
(本日も、お客が発見してくれました。すみません。)
しばらく、ご迷惑をおかけするかもしれません。
どうしてもつながらない時は、メールください。
すみません。
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さて、男のゆーれい達のブログのタイトルの最後、
ゆーれいから教わった、
『生きる』ということについて書いてみる。

おっさんの幽霊話というのは、
今に始まったことではなくて、
ずっと以前からだったので、

今まで眺めたおっさん、いえ、男性のゆうれいの思い出せる人、
全員を思い出しながら、
生きざまについて書いてみる。

男だけではない、苦しい女もそう。

生きているうちって人間は相当不器用だ。
(死んだ人が楽であるという意味ではない。)

話していることが本人の願いと全くずれている事なんて、
占いの相談なんてほとんどがそうだったりする。

相手を変えたいことは
自分を変えたいこと、だったり、

勝ちたい憎い相手がいることは、
自分の成長だけを見つめる冷静さを知りたい、だったり、

自分の価値観を押し付けても動かない話は、
自分の何かが悲鳴を上げていることだったり、

でも、それでもゆーれいは綺麗にも
不器用にもその姿を現し何かを見せる。

読む前に動かされていて、鑑定上とっくに私が成り代わり説明しているほど、
その存在の苦しさを知る必要の薄いものや、目的が明確であるものがある一方、

不器用にその姿を現し、表現力を伴わないものって、
相談する人にもある同じところを自分のようにならないために知らしめるところがある。
いや、引き継いでいくものとでもいうのかな。
そんな鑑定は今まで沢山あった。

大事な、その人に渡したい学びだ。

お母さんではなく、お父さんたちが語る
人生について。いや、お母さんにもこういう人はいる。

『生きる』ということは、
自分の今を守るためにある。
今の生活、生き残れるように、
家族が安定して暮らせるように、

生きる。

でも一方、守るものとは反対に、
子供のころから描いていた、
自分という存在を語る、
そんな夢を持つ自分もいる。

このタイトルで何かを書くきっかけになった人は、
家庭を守ることを大事にして、自分の目の前の夢を捨てた。

逆に言うとそれほど、子供がどこか大事だったんだろうと。

でも、その闘志、完全に捨て切れることは無かった。
なので、自分に今の生活が正しいことを納得させていたところがあるのだろうと思う。

そこは隠したつもりでも見えてしまう。
見えてしまうという事は力で隠してきたという事かと。

支離滅裂な表現力の中に、
その難しい心を見せてもらった私だが、

その時、この人の苦しさはよくわかったから、
お客に説明できて納得してもらえたものの、

その苦しい心の形、
それに釘付けになった自分がいた。
鑑定が終わってもずっと釘づけだった。

自分の生命を守る生き方、
家族を守る生き方、
これに徹することが

人間、回り回って結局一番なのだと思う。

一方、やりたいことを徹底して、
家族の何かは放棄してまで、
自分の願った何かを死ぬまで追い続けた
そういう男のゆーれいも沢山見てきた。

そういう個性的な動きが無ければ、
世間はその人に気が付かないし、
社会の大変化もないのかもしれない。

でも一方、その個人の夢とやらに、
家族全員被害者になった話も多い。

中間なんかあってないようなもの。
衝動に動かされたら止まらない。
周りの迷惑顧みず、
恐怖を打ち消すために次の挑戦が待っている。

でも動くことを押し殺せた人もいる。
でも、それが何やらを語っているのだ。

お客に。

家族の犠牲になることも、
社会の犠牲になることも、

結局どっちも犠牲でしかない。

自分の思いは少しでも、
僅かでもいいから、自分から離さないで、
自分のものとして取り入れて、
そんな自分で生きること。
自分が願いから切り離された
違う人生を歩まされている人にしない事、
とでもいうのか。

それが自分と家族を守るもの、
そんな風になれたらいい。

その人も無理せず、
その人の気持ちを知らされている家族も無理せず。

容易ではないけど、
その秘訣は、

どっちかにまっしぐら、になる前に、
一方が見えなくなる前に、

自分という人の壊れない夢、
家族に壊されるものでも、
社会に牽き殺されるものでも、

どちらでもない、

自分らしい生き方を模索しておくことだと。

人は急に成長する、
急に社会を選択させられる、
気が付いたら、家庭がある。

強く出る必要もないが、
自分の世界を保つこと、

それを最初にしておけば、
急いで自分の考えを変える必要もなかったのかもしれない。

苦しい、という事は許されなくても、
苦しさはにじみ出る。

それを見てそだった人たちは、
それが何であるのか眺めて育つ。
そして、その人の苦しい壁と同じものをみて、

何かを知る時が来る。
生きている間に伝えられなかったからこそ、
今、活かされる、

ゆーれいの価値観。
なのかなぁ。

うーん、本当は私みたいなのが間に入らないで、
生きてその人たち同士が分かりあえた方が、
ずっとずっとよかったんだけど。










うん、そう書いた尻から、
同じような事情のお客が追いかけてくる。

…、いや、おなじような客、じゃなくて、

同じようなおっさんのゆーれいだ。

私、という人は、お父さんを無くした方と縁が深い。
個人的にも、お客さん相手でも。

…、って昔から思ってたけど、ちがうなこれ。
おっさんのゆーれいって、

不器用だ。
ほんま、生きている時から不器用なくせに、死んでも不器用なんか。
伝えるべきことが伝えられないからそら、縁も長くなる。
それだけやったんか。

男という生き物は。
いえ、ここ、女、と書いてもいい。

不器用な人、というものは。

死んでも、伝えたかったメッセージを伝えない、のではなくて、
伝え方が分からないから伝えられず、
語る事すら矛盾していた。

死人とは言え、頭は覗けるので、
覗くと、

死んでも分裂しているのだ。
分裂しているから本心が口からでなくて、

死んでいるんだから死人らしく、ご家族の幸せを直球で狙って語る、
という死人らしい死人になってもいいのに、
その人は、
答えにならない話を語った。

って、その人だけじゃねぇ。
世の死んだお父さんって結構そうだ。
お父さんというより、おっさん、だな。

死んでも、
あんた、一体何が言いたいねん。
から始まり、

放っておけば延々と、
的から外れた話をする。

生きている人と同じように、
心の縛りを外して本音が動くようにしてみると、

思わぬメッセージを語りだす。
そうそう、それがお客が家族であるあなたから教えてほしかった生きる知恵なの。

早うせんかい。
って思わなくもない。

でも、それくらい、
伝えられないくらい、

本人は生きているときに夢に向かう事を捨て、
現実を淡々と安全に生きて守ることに精を出して、

気が付けば、
本当の心、を知らせる術も失っていた。

普通、死人って、そんなに読み込むのは難しくない。
客観的な聞き手でいるだけで充分伝わる。
だから死人の心は分かりやすい。

これが普通、というより、私の仕事上の普通。

でも、今回、お客の人生相談などという枠を飛び越え、
本人に不思議現象を与えてゆさぶり、

オレ、オレ、死んでるし。

って見たら誰でもわかるわい、というすがたで、
その人の家族であることを知らせて、

存在感は抜群。
内容は皆無。

という理由は、

男という人生を守り抜いた、根性が
その人の表現力を奪っていた、

この人がこんなに不器用な姿で現れたのは、
多分、この不器用さゆえ、夢を失った、
こんなに自由で亡くなった自分をお客にわかってほしくて、

お客には、そうならないヒントを残すため、
でもあるのだろう。

更に長い前置きだったが、

この人が語る人生、
人生って何なのか。

の複雑さについて書いてみる。

霊視鑑定師などというこの世で一番信用のない、
社会性が底辺である仕事をする私。

が、

死人について語る。

先日、死人の方から進んで自らを語る仕事をもらった。
人の精神を見ることにはその辺のオタクには負けないぐらい、
いや、絶対に負けたくない糞真面目オタクな私。

死んでいる人の心を見る方がずっと得意である。

それはね、


死んでる人って、もう出てきて、
『何いうとんじゃ!!お前のいう事は嘘ばっかりじゃ!!』
って怒鳴って出てこないでしょ?
力説したら、客は、『そうかぁ。』って納得するしかないでしょ。
だから楽で仕方がないの。


というのは嘘で、

ホンマにホンマに死人の方が見やすいのである。
なんでかな。

たまに、ではあるが、私は、人間関係について見て述べるとき、
その相手が死んでるのか生きているのか、区別がつかない時がある。
そういう時は、当たり前やけど、お客が事実関係を知っているので、

あ、この人、死んでるんや。

と死んでいる事実を知らされる仕事も中にはある。

しかし、先日、そんなことも吹き飛ばしそうな勢いで、

どう見ても、

『ワシ、死んでますねん。』とはっきり分かる姿を示して、
お客の肩をポンポン叩いて、

それって、何?
それだけが質問、
という仕事が来た。

こういう書き方をするだけで、私の仕事は疑わしい。
科学から遠く離れて、物理的証明は皆無で、

嘘つきなら、

『そらぁ、あんたの守護霊様が、…。』
って話を作ろうと思えば、
100通りでもできる。

それを理由に金をゆすることも、
恐怖の暗示に陥れることも、

やりたければ、
何だってできる。
それくらい、霊視の世界ほど胡散臭く、みじめな世界だ。

私はそこにいるのだが。

あ、また脱線。

とにかく、いつもの仕事と比べて、

え?
と思うくらい、鮮明に表れて、
本人を動かして、

己の存在を見せつけた死人。

お客は死人にとって一番心配で大事な存在。
人の念力とは、その思いでこうも人を動かすのか、

と、死人の口を眺める仕事をしている私でも、
ちょっとばかり驚いた。

が、しかし、
何と、メッセージ力に欠けるのか。

存在感とは裏腹に、
主張が滅裂。

こりゃ、生きている時でも、きっと全然分かりあえてなかったやろう、

その理由について書いてみる。
(どんだけ前置きが長いんじゃ。)

なんで書くのかというと、お客にとってなにか、
今生きる人にとってなのか、いや、両方、

にとってとても大事なことをこの人は知っている。
きっと、生きている間にこの人は何者か、有名な人にも成れたと思う。

でも、生きる、という
体という枠、生活環境という枠、

その枠を大事にすることで、
自分の生きた証、という生きざまを世に知らせる、

そんなこの人の夢は、
生きているうちに現実のものにならなかったのだと思う。

この人は私の知らない人ではあるが、
わたしは、人生を教えてもらっているかのように、
この人を神様のように感じるから、

どこかの誰かに拾われて、
この人の考えが、苦しむその人の心の支えになればいいな、

と、おもって書いてみる。

『生きる』
ということについて。