霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。  -5ページ目

  霊視鑑定、電話占いの現場を書いてます。 

電話占い、霊視鑑定の依頼をしなくてもがんばれそうな内容、精神面の強化につながりそうな事を主に書いてます。
不思議な話、幽霊の話、霊視鑑定師としての日々、葛藤など占い師として率直に思う事も書きます。

ははぁ、この人がひたすら隠して逃げてきたものは、
これだったのね。

私はある人とのメールの行き来のあとに気が付いた。

勇気と覚悟。

勇気と覚悟を持って事にあたってこい、
ではなくて、

自分を自分で守る勇気と、自分で救う覚悟を
放棄するな、人に預けようとするな。
だから犠牲者になってしまう。

だったのかぁ。
…、説教などではなくて、

これができなくて、
この人はある分野だけに限定して、
必要以上に苦労してきた。

この二つを放棄することで、
恐ろしいぐらいの量の精神エネルギーを使ってきたというこか。

あは、
でも年貢の納め時。
この人が、苦しみとお別れする時が来てしまった。

あぁ、そうか。
恋愛って、
他の人間関係とはちょっと違って、

かわいいから、
好きだから、
とか、そういう特別視があって、
特別扱いがあっても不思議ではない領域。

逆に言うと、

特別視、特別扱いされることが
好まれている尺度となる。
と感じる人もいる。

あー、あー、そうなのか。
だから好きだったら、あるであろう特別扱いを欲するのか。
ふーんふーん。
(あんた、すっかり蚊帳の外やの。うんうん、私別世界。猿の惑星。いや、おバァの惑星か?おジィか?)

…、いや、私、そもそも、そういうのどうでもいい性格かも。
って誰も私の事は聞いてない。
(お願い、誰か、ちょっとは関心持って!)

ま、でもやなぁ、
そういう事情があっても、自分の世界って、自分の冒険だから制御可能なのであって。

相手の冒険にしたら、
あとは絶対被害者やで。

うーん。
違うテーマに置き換えたら相当耳が痛い。

人生の主導権、

面白いことに、分野によって、
強弱がここまで変わるとは。

家庭内弁慶とか、
恋愛だけ弁慶とか、
仕事だけ弁慶とか、
批判だけ弁慶とか、

あ、あたしは、
あ、あたしは、

あぁ、あ、あたしはぁ~!!!!




いやぁ、こんなこと私書けませんが。
(意志薄弱。)

そんな事も言ってられないので。
そこについて書いてみる。

嘘でも、そこらへんについて知りたい人がいるからこそ、
自分の事としないなら、いくらでも書ける。

うじうじうじ。
決めた方針があるにもかかわらず、
時間だけが流れていく。

きっとその方向性が正しいんだろうな、
って誰に聞かなくてもわかっている。

けど、

何も手につかない。
否定的にすら考えてしまう。

この止まった時。
(私なんて人生の全てがこれのように思えるが。)

人を見て書くわけだからいくらでも書ける。
(自分がそういう思いにはまり込んだら、きっと何もわからないと思う。)

その躊躇。
うん、横から見るとただの躊躇だ。

きっと本人は、ただ無駄な時間を過ごしていたり、
ただ、気分的に疲れてて手につかないからテレビ見てたり、
ただのだらしない人ぐらいに自分について思うんだろうけど、

困っているようにすら見える。
とはいえ、何に困っているのかテーマすらきっと気が付いていないから、
気が付かないんだろうと思う。

『わたしにはできない。』
これ、もう心の癖なんだろうな。
漠然とそういう思いが自分を占めて、
一人で自分を変ようとする時に
邪魔をする。

変わりたい、やりとげたい、まっすぐ頑張りたい。
という目の前の意識とは別に、

ぼんやりと存在する
『わたし、できない。』

でも、きっとそこがその人の壁なのだ。
現実やら、経験やら、常識やら、そういう必要以上に知りすぎた、
何らかがその人の新しい挑戦を止める。
思考の癖。

トシ、とか、貧乏、とか、才能ない、とか、頭悪い、とか。

自分が知る自分の姿に思う印象の悪さ。

…。
でもさ。

ハッキリ言う。
そういう自分がいるからこそ、自分を見失って、
どこかの誰かに入れあげて、空回りする自分がいたわけ。
他人を宇宙一素晴らしい人に祀り上げるのはいいけど、
そんな状態で自分の立ち位置直視できるか?

人をそんな風に見たら、
自分はカーストの底辺になるよ。

そして、
『わたしできない。』が襲い掛かる。

たって、自分が下々の下々だって、
ものすごい認識を与えたのは、

他人を雲の上にあげてしまった自分ではないか。
(うん、耳が痛いね。私の人生。)

格好いい挑戦も、
格好悪い挑戦も、

もし、新しく自分が動こうとしているのに動けないなら、

そういうところがあるかどうか知るのもいいかも。
何と言うか。

人生の軌道に乗り遅れたからもうできない。
って思うなら、

そういう人をしばらく見なければいいではないか。
人と自分の差を感じて落胆して、
落胆するエネルギーで動けないなんて、

意味が無い。
いや、
あなたには無関係の行動だ。

尊敬する社会、人物を見て、どんな自分でも、走らせることが出来るタイプの人はそれでいい。
でも、躊躇するなら、

見るのはよせ。
知らないうちに自分を殺す材料を集めるな。
そこから自分が動かなくなる心の癖を積み上げる。

…、ブログに答えを書いて、って
言われた覚えはないけど、
気になったから、書いてしまった。

あ、あたしなんてね。
ずっと、そういう流れで生きてるの。
溺れて死にそうだ。

ちょっとは頑張る気になったかな?




先ほどのブログに続きになるが、
恋に苦しむ人に誰にでもありそうな話、
いえ、誰にでもありそうな話。

秘められた思いが湧きたって、
自分の中で騒ぎ出す、

普段の日常では飛び出しようもない活躍の場もない隠された思い、
それがある人をターゲットに、目をさまし、

ドバー!!!
っと押し寄せて、

その人むけて、

ゲロー!!!
あたし、あたしって、実は、あたしなんです!!!!!
っとなりそうになる。

うん。これは理解できる。

この秘められた思い、って
他の場面でも発動する。

ずっと伏せてあげてきた他人の負が、
もうどうにもならなくなって、
ドバー!!!!っと
思いやりの壁が崩壊するのに、

構造は似ている。
横から見るとね。

人はなぜ、この秘めたる部分を持つんだろう。
私は人の相談後考えてみた。

簡単な答えは、
表で見せる表向きの人格を重視していたら、
自分の個性のつぶやきなんて、
扱おうにも不可能になった、
というのが分かりやすいかと。

これが恋愛になったら、
相手の魅力という存在感に負けてしまい、
自分らしく生きるより、相手を手にする方が優先されて、
自分が死にました、そうしたら、言えない思いが山ほどになりました。
ということだろう。

そんなことは、普通だよな。
ありがとう、昨日の仕事で続を考える気持ちになった。

ま、その根底は、トラウマである、
自分の言えない気持ち、
分かってもらえない自分、

にぶつかる訳で、
こんなもんは何も不思議でもなんでもない。
あたりまえといえば、あたりまえ。

だからこそ、その被害が大きい人ほど、
人間関係で願望を抱いたときの混乱が大きい。
その割に、お勉強はとっても良くできる。

うーん、そんなことはどうでもいい。

目指す心に秘める思い。
秘める思いがあるから目指す心があり、

それが何かの原動力になるのは当然で、

人の人生なので、
いけないとは言わないが、
それがおかしな方向に暴走しだしたら、
制御不能、

ここなんだよねぇ、

だからって、適切に自分を放出して、
暴走にならないように生きましょうね、
っていうのもおかしな話だ。

ただ、強烈な暴走、

ビュンってある壁を突き抜け、
ショックが大きくて維持できず、
今度は次の壁を目指して、
むちゃくちゃになり、

…、これは避けたい。
こうなると、本来のエネルギーが使いようもなくなる。

ただでさえ、力がある人の暴走は、
逆に転じて恐怖を呼ぶ、
ダメージも大きい。
自分の心の力に自分がついていけなくなる、

そこから生じる、

嘘。
とか、
本当は言いたくなかった悪口、批判、
なーんて、

無駄でしかない方向を向く。
そして、余計に無駄な動きを作り出す。

うーん、うーん、
結構、脱線したけど、

ここか。






唯一の存在になりたいのね。

それが恋愛であることはよく分かっている。

そして、こんな相談は山ほどある。


何もあなただけの悲鳴ではない。

男も女も。

実はみんな同じような話し方をしている。


と書くことで、

何かに気が付いてくれれば、と思い、


唯一の存在であるために、

理解させたい気持ちがあって、


覚悟を決めて、

命以外のどんな犠牲も惜しまず、

相手と共にあろうと。


準備に準備を重ね、


言葉という言葉を準備して、


あらゆる場面をシュミレーションして、


ある時がやってくることを切望する。

こんなの苦しんでいるみんながそうだ。


よく、思い出してみてほしい。

今度こそ。


何度こんな思いをしたことか。

しかし、毎回、

壊れそうなくらい苦しんできている。


相手に分からせることで苦しんではいけない。

と私は思う。


『いいえ、全然苦しくないから、そういうのは平気なの。』

って人の話聞いてんのか、あんた。


と書いていたら、

このブログを支える様な鑑定が。


ある人は、心の支えを恋愛に求めていた。


…、ってあるじゃないか、心の支え。

この人の場合は、


本来のこの人のキャラクター。

何でも跳ね返す、楽しくはしゃぐ自分だ。


社会に飲まれていつの間にか忘れ去って、

その力を恋愛で取り戻そうとしていたらしいが、


それは違う。


こんな楽しい個性は、恋愛を知る前からのこの人の持ち味だ。

本当の自分が社会で殺されて、目線が変わってしまっていただけだ。


本来の自分を思い出してほしい。

本来の自由な自分の姿が壊れる恋愛なんて、

自分を殺しているようでどうなのかと。


なら、せめて、


本来の自分が死なない程度が良く、

本来の自分がより活かされる環境が良く、


ほんと、


『好き』

に取りつかれている人は、


自分を自分で楽しませる力が消えている。


自分を取り戻すには、

自分で楽しめる日々を作って、

自分で楽しめる生活を目指して、


そこからなのよ。

自力で回復から成長まで至らせないと、

解決に至らないのさ。


唯一無二の存在は、

あの人にとっての自分じゃなくて、

自分にとっての自分なのだ。


自分が大好きな魅力的な自分にしてあげて下さい。



これも、どこかに書いたことについて、
違う言い方をしているに過ぎないが。

自分の欲求を隠し持つ人たち。

表では涼やかで、礼儀正しく無礼のかけらもない、
そんな美しい振る舞いの人達。

目の前の人に文句も言えず、
文句があっても、

会話の最後に嫌味が出る程度。
後ろで悪態をつく程度。
裏切りの人間関係を持つ程度。

一番伝わらず、一番不愉快な空気を作るに過ぎない。

しかし、その人たちは本音をいう訳にはいかない。
言ってしまえば、終わるからだ。

初めから、終わっている環境に自らを置くことに問題があるのか、
環境と自分を変えることが出来ないことに問題があるのか、

相談内容にもよるし、
その人の個性にもよるけど、

これは、個性の扱い方でどうにかなる問題だと思う。

周囲から、『良い人』と判断されたら、
己の隠された個性なんて余計に復活できない。

とはいえ、

『良い人』にならないと、
己自体が活動できない。

きっとこんな構造なのだろうけど、

これ、繰り返せば、繰り返すほど、
蓄積されるのは、

秘められた怒り、なのだ。
そして、そこから、

依頼心と依存心が、
幻の突破口を見つけるようになる。

それが、

叶わない恋愛とか、叶わない社会的成功とか、
ありえない脚光とか、そういうものに向かうことになる。

どうして?
って、

そら、その願望の発生源である根っこが、
自分で殺した個性だから。

自分で自分の構造を裏切るように作れば、
結果も当然裏切られる。

おそらくそれは、
ある成功を手にした瞬間に壊れる。

気の流れからしてもおかしいのだ。
守る事=負を受けない姿勢
と、
受け入れること=吸い取る事

の流れが一気に変わるからだ。

表の嘘の評価を集めるために自分を散々殺して、
ある時、ある人だけにそれを認めさせるなんて、

虫が良すぎる。
という事ではなくて、
無理があるのだ。

そんな力はいつか絶対裏切られる。
自分でかばえない個性を他人に全面的に見てもらう、

ということは、

自分は無力だという事。

これを普通の相談内容のパターンに置き換えたら、

理解してもらえない恋愛、とか
理解してもらえない実力、とか
叶えたい現実離れした夢、

というものになるのだろうと。

解決方法は、
自分自身を中途半端にしない事かと。




えぇテーマをいただきました。

自分を信じて自分を育ててこなかった部分、
そこが情熱を求めて叫びだす。

うぉぉぉぉぉ~!!!!
それを探して、
不思議なものを引き寄せる。

とても、個性を殺しているなんて見えないある人。
周囲の人ならそう取るであろうその人、

やりたいことを好き勝手に行っている、
とすら取られても仕方がない、

にもかかわらず、

その実、そのギャップに苦しみながら、
多くの恋愛に浸った。

うーん。
我儘で暴れん坊な自由人。
恋愛すら自由きまま。
に映るその人の、

本当の姿は、
誰も知らない。

本人も知らない。

狂ったように男が好きなのではなくて、
狂ったように収まらない自分と格闘してきたのである。

収まらない自分、

収まり場所を探しているのだ。

選択と拒否を続けながら、
有り余るエネルギーが問題を起こす。

ある時は、やまらない依存に振り回され、
どうでもいいのに、追いかけて追い詰めて、問い詰めて、
相手の首を締めたくもないのに、
本当は興味すらないのに、
取りつかれたエネルギーは、
真実を求める。

真実といっても、
他人の心という瞬間の事実なんて、

切り取った瞬間でしかない。
真実の効力も一瞬で消える。

そして、また更に、真実を求めるエネルギーが
へびのように徘徊する。

次なる疑問を求めて。
真実を掴みたいのか疑問を探したいのか、一体どっち。 

この人の場合に限った解決方法を書いてみる。

この人はかなりの大人社会で育った。
それでいて抜きんでた読みのカンが冴えた子供であった。

でも、その人だけが子供。

多大に入る情報は子供らしい成長には無関係、
大人だらけの家で役に立たないただの子供を演じてきた。
大人たちはこの人にふさわしい子供の成長に必要な要素は与えても、
家族問題の解決につかうことなどありえない。
この人が持つ答えなど無用なのだ。

環境の読みは10割、
実際に自分を活かすのに必要な情報は5割。

常に、残りの5割の力が無駄にうごめく。

知っていることは沢山あっても、表現して現実の世界で使用することが無い、
エネルギーの無駄、

で育ったのである。

本来なら、って現実社会ではありえないが、
山で一人暮らしでもすれば、
自分のカンは全て自分の生きるために使うだろうし、
都会でも、子供が一人で生き残ろうとすれば、相当な力を使うだろう。

簡単に言えばそういうことだ。

とはいえ、この人は必要なものは手にする、
競争に勝てるタイプの人である。

恋愛だって、容易に手にする。

でも、でも、でも、不思議だが、

こんな人にも苦難がある。
周囲が知ったら、何を贅沢いっとんのじゃ、
となりそうだが。

男とうまく付き合いきれず、
自分の私生活を満たすことが苦手なのだ。

手にするのは簡単。

しかし、時間が経つと、

相手の不信感に全エネルギーを投入してみたり、
エネルギーが注げない、そそぐ関心が無くなると終わってしまう。

本当に自分の物になり得るかどうかが怪しい場合に恐ろしく熱を使い、
安心、安定、どうでもよい、に変わると終わってしまう。
そして、次の発熱を求める。

よく、恋愛相談で、
『好きな人としか結婚できない。』とかいう人がいるが、
それもどこかこれに似ている。
そこが尺度なら苦労は相当。

トラウマの性質から解くこともできるが、
単純にエネルギーの使用方法がおかしいのである。

5割の力で生きてきた人が、
10割をうまく活用させる。

分りやすく言ったら、

自分で生きる力とでもいうのか、
そこに興味を集中させたほうがいい。

別の言い方をすれば、

もっと物事の全体と、
自分自身のありようを知るべきかと。

そうでなければ、
また有り余った力で、
男の首を絞めて、

相手がよそに逃げ出したり、
無気力になった男を道端に捨てたりすることになる。

というこっちゃ。

だから、とは言わんが、
過去のこの人が興味を示した男というのは、

こっちもこっちで
エネルギーが暴走しているタイプ。

熱血だったり、仕事の鬼だったり、自己に異常に関心があったり、
ま、とにかく情熱に偏りがあるタイプ。
平和とは縁遠い、勝つ男かな。

ある意味、そっくり。

仕事の結果、己のステータス、見栄え、見せつけるカラーでしか、
己を満たせないタイプ、

そういう人に自分が認められることがターゲットになる。

競走馬と競走馬の戦いだ。
興奮した人が興奮している人を理解するのだろうか。

自分に似た自分より強い男に自分を分からせる。
相手の力の方が少し上、というところが、
また、どこかずれていた。

とはいえ、この人はそこのあたりは、もう解消した。
自分を知って変化のない日常を愛せるようになったからだ。

ガラっと男の趣味を変え、
不安を呼ばない人を選べるようになり、
幸せでもある。

しかし、それでもおかしな生き残りの有り余った力がうごめいていた。
まだ、ちょっとどっか足らんのである。

…。
男にそれをぶつけることはなくなった。

とはいえ、
自分を自力で扱う力が欠けているのである。
ほんのちょっぴり。

なので、他人に構ってもらおうと、
他人が自分のペースに合わせてくれないところに、
疑問が走り、へびを生成しそうになる、

この力、
については本人に説明した。

どうするかは本人が決めればいいことだが、

器用な人間だからこそ、
恵まれた環境だからこそ、
有り余る力を、

第2の人生に使うか、
自分の変身に使うか、

いずれにせよ、
今の環境とのすりあわせで、無難に決まるだろうが。

この人が、恋愛で男を半殺しにして、
息を切らしながら追い求めたものは、

多分ここにこたえが。











今のあなたが作る未来って、

それは本当に、あなたの未来?
あなたは一生懸命、今抱える問題の対処方法を考えている。

だけど、
私から見ると、

誰かに作ってもらう未来を導き出そうと苦しんでいるようにも見える。

しかし、それでいいのだ。
ここが人が新しい決断をして、
新しい自分になる前に起こる衝動、

というか、
それぞれにある
いつもの癖だ。

人って本当に面白い。
自分には出来ない出来ないって思っているときは、
本当に動けないくせに、

昔の自分なら絶対に躊躇してできないことが、
ある日突然できるようになる。

そうやって抜けきる前に、

人は面白いように、人間関係の相談をする。

内容はそれぞれだけど、
形は同じ、

誰かと作り上げる未来。
自分が作ってあげたいと言ってはいるが、
共に生きたいとも言ったりするが、
その人がいないと完成しないなら、

それって、

その人が作ってくれる未来ではないか。

ということはその人が気がつこうと気が付かなかろうと、

これってものすごいチャンスなのだ。

何のチャンス?

その暗闇が開けたときに、
その人は両足で立ち上がる、

そういうチャンス。

だから、その時が近いな、って思いながらも、
話しに付き合う。

なぜかって、

そういう大変身前には、必ず、大きな衝動が来る。
色んな試行錯誤がある。

それを邪魔して小さくしたら、
その人の変身は遠ざかる。

がんばってほしい。
そんな風に私が思う人は、
何人いるかな。





重い。
(恋愛不得意体質)

でも、きっとこれを見てみたい人がいるのであろうから、
これについて書く。

色んな相談、
の中に、絶対一度は存在しそうなこのテーマ。

多分、占い師の個性によっても書くことがかなり違いそうなこのテーマ。

幸せをいっぱいいっぱい広げて、
幸せだらけの内容を書く人もいると思う。

…、
私は、私の個性で書いてみる。

今まで、本当に多くの、恋の苦しみの話を頂戴した。

手に入れるまでの緊張を解く為あらゆる確認で相談した人、
何も始まっていないのに、動き出す前に相当確認する人、

とか

自分の中ではすっかり終わっているのに終わりにできない人、
終わったものを振り返って可能性を探る人、

結婚が絡むと話はもっと広がる。

色んな悲しみに、喜びに、不安に、怒り、
時間の重さで内容も変わる。

離れる相談も、離れたくない相談も、
人によって時によって本当に色々だ。

相談業、相談なので、
どう考えても、負の相談の方が圧倒的に多い。

負をあらぬところまで追いつめて考えてしまう時だってある。
なので、少し、気が楽になるように書いてみる。

別れない人も別れる人も存在するけど、

別れない、という中には、
別れなれない、という理由があったりする。

別れたら、心が死んでしまうから別れない、
別れたら、本当に生活できなくて死んでしまうから別れない。
いずれにせよ、別れたら、成立しないから別れない。

別れる、という中には、
別れるだけの余裕があったりする。
上の理由がひっくり返ったようなものだ。

二人のうちのどちらかに極端に強い力があれば、
無理矢理にでも流れは作られる。

人って、色々考える生き物である。
あなたが色々考えてきたように、
相手も色々考える、

が、しかし、

気が付いたら、
過去の自分の考えに、
あまり根拠がなかったものもあると思う。

その人がもう絶対に我慢ならない、とした理由があったとしても、
事情が許さなければ別れられない。

しかし、時が過ぎると、

絶対に我慢ならない事すら、通り過ぎる。
だって、人は過去だけには生きられないから。

というように、
ものすごい根拠がありそうなものすら、
いつの日か、
根拠も忘れ去られる。

なので、思うけど、

思い詰めている人も、
自分を否定しまくっている人も、

考えない方がいいのでは。

瞬間的に究極に物事を突き詰めて考えても、
それを毎日死ぬまで出来る人はいないわけで、

ということは、

やっぱり、その思い詰めた思いって、
いつか絶対、保てなくなって、忘れるものになる。

相手も、きっとそう。

なので、相手の思い込みで動かされた人は、思い詰める必要もないし、
自分の思い込みで動かない話を動かそうとしている人も、思い詰める必要はない。

究極、

離れるだけの余裕があれば、刺激は大きいし、
離れる余裕ゼロなら結局無理だし。

ただ、それだけ。

あなたが悪いわけでも、何でもない。




こんなことを考えさせられる会話があった。

隣の芝生は青々とみえるもので。

普段通りの自分から、突然違う世界を見せられてしまうと、
これまた、動かされる心というものがあるものだ。

相手の景色に自分がいないのは当たり前。
自分の世界に相手の景色が無いのも当たり前。

この、当たり前であるはずのルールが壊れる時がある。

それって、どんな時?
予想外の時。

普段通りの自分の流れを壊されると、
相手の景色の方が見えてしまう。

壊されるというパターンは色々あって、

相手の話が凄すぎて、
見いる間に自分が崩壊。

相手の話の切り込み方が以外過ぎて、
我を忘れて自分流崩壊。

予想外に図々しくされて、
気が付かないうちに崩壊。

相手の持つものが羨ましくて、
欲求が目を覚まして普段の自分崩壊。

というように、書こうと思えば何通りにでも書けそう。

内容だろうが、手法だろうが、
自分の防御のパターンを失う、というだけのこと。

相手は、奪取の天才かもしれないし、
仮装の天才かもしれない、
演出の天才かもしれないし、
脅しの天才なのかもしれない。

材料はなんでもいい。

こちらがいいように我を失えば、

『欲しい自分がそこにある!』
って勘違いすることになる。

おもろいなぁ。

あこがれに踊るのか
金に踊るのか
プライドで踊るのか、

こんなところも隙だらけ。


そうそう。

孤独と暇の話を書いたんやったけ。

…、そう私の人生の長すぎる暇、
振り返れば、ほとんどが暇から出来上がった私の人生。

それを悲しい孤独と思って、
色んな選択をしたような気が、

大いにする。
という私の話は置いておいて。

相談話から出てきた要素を拾って説明する。

ある人が、大きな決断をして、今までの環境を捨てることにしたらしい。
その中には長年のこんがらがった、人づきあいの抜け出せない構図が、
ドロンドロンに詰まっていた。

内容はともかく、

社会の癖のある構造の中で、
人に言えない何かを抱えだして、
それを握ったまま、環境に勝とうとするなら、

自分を信じてただひたすらに黙々と集中して、
これを負けずに負けずに繰り返せば、

いつの日か、状況は好転する。

誰にも頼らない、何も信じない、
ただひたすらに自分の今を信じて。

とか、

もう、絶対に本音は明かさない、
ただ、自分の行動が証明されるまで、
その日までただ頑張るのだ。

というやり方がいいのかと。

どうやっても環境が変えられない人はそういうやり方もある。

ややこしくさせて、同じ失敗が繰り返される可能性がありそうなパターンとして、
考えられそうなのは、

中途半端に流されたり、
首を突っ込んだりすることかと。

ここで、冒頭の
孤独と暇が登場する。

人の訴えを聞き入れるとき、
自分の孤独が騒いでいたら、

その人の問題の中に、
自分を見出してしまう、
という、

恐ろしい状況を作り出してしまう。

他人の問題の中に、
その問題を解決する自分の姿を見出してしまい、

気が付くと、

自分を犠牲にする人助けが発生する。
他人以上にその問題に危機感を感じれば、

罠にはまった自分がいる。
自分から罠に足を踏み入れ、
自分ではまりだすのだ。

これが霊視鑑定でよく言う、

『被ってます、あんた。』
という状態。

見ている方は、すでに出来上がっている、
被っている絵を先に見る。
なので、被っている相談者が被害者で、
莫大な影響力を放つ方が加害者みたいな説明になるが、

元々の発生の仕組みはこんな感じ。

他人の問題といのは、本来、踏み越えてはならないラインがある。
(それを越えた経験が山ほどあるから書けるのだが。)

踏み越えてあげたところで、
所詮他人の問題。

問題を乗り越える力を付けないとならないのは、
問題を抱える本人である。

中途半端に支えたところで、
相手の力には絶対ならない。

支えが消えたとたんに、
相手の動きは急落する。

孤独を感じることは恐ろしいもので、
孤独から逃げ出そうと、人に関わり、
予想外の物を見ることになる。

ここ、

孤独という勘違いを捨てるだけで、
関われるラインも見えてくる。

孤独を暇に置き換える。

暇だから聞いてあげて、
知っていることを教えてあげるだけだ。

というルールを作ると、

暇が終わって用事があれば、
そこでラインを引くことが出来る。
これがその人の関われるライン。

相手に誤解を与えることもない。

しかーし、逆に、

孤独、という言葉がここに居座ると、
あら不思議。

自分の孤独感なんてそんな簡単に消えはしない。
下手したら一生だ。

ということは、

その人の問題にどこまでも関われる孤独を埋めたい自分になって、
他人の問題の中に自分が存在し始めて、

他人の不幸と孤独を忘れたい自分が結婚したみたいになる。

絡まって、
こんがらがって、

見失う。

こんな説明で、おぉ、と気が付いてくれる人がいればいいけど。