十三峠②

2016年7月11日(月)晴

ホテルルートイン恵那の9階に止まりました。9階なので恵那の街がしっかりと見渡せます。この日も晴天です。

恵那駅から釜戸駅まで中央線に乗り、携帯電話で釜戸駅からタクシー会社に電話をして、「大湫宿まで行きたい」とお願いをしました。

朝の釜戸駅です。通勤の時間ですが、この駅で降りたのは5人ぐらいでした。

夏の朝、さわやかな青空が素敵です。

 

大湫宿

JR釜戸駅から3、7km離れています。普通の道なら歩ける距離ですが、登りがきつく、バスなどがあれば利用するのですがそれもなく、タクシーを利用することにしました。

 

大湫は交通の不便さが、かえって、昔の面影を色濃く残す宿場でした。

特に「大湫宿〜細久手宿」6、5kmは「琵琶峠」を挟んで、江戸の昔を偲びながら「トコトコ歩く」のには最高の「道」でした。

「八瀬沢の一里塚」、「奥之田の一里塚」は昔の姿をよく残している遺跡として重要なものでした。

 

                       広重  大久手

大湫宿を越えて京都側に行ったところに2つの大岩があります。そこの景色を描いています。  

 

朝9:00に宿場に着きました。大湫公民館が空いていたので入ると、そこはこの地方の資料館でした。詳しく見てゆきたかったのですが、トイレを済まし、お団子を購入しただけで、十三峠の後半を目指して、トコトコ歩き出しました。

 

神明神社の大杉 樹齢1300年!迫力があります。

「大湫に過ぎたるもの二つあり、神明社の大杉と観音堂」と言われています。その「過ぎたるもの」の一つの大杉です。

 

 

オオクワ宿を過ぎると十三峠でいちばんの難所と言われている「琵琶峠」です。

 

 

石畳730m続いています。

もうすぐ頂上です。かみさんは上り坂でも平気で登ってゆきます。私はどうも登りはきついです。

「父ちゃん!もうバテたの肩を貸してあげようか?」

ありがたいと思いつつ、

「馬鹿言うな!このぐらいの坂なんでもない!」と言いたいのだけれど・・・。

「ちょっと、ちょっと待ってくれ!」と弱音が出てしまいます。

 

やっとこさっとこ、琵琶峠の頂上に着きました。

 

「住み馴れし 都路出でて けふいくひ いそぐも つらき 東路のたび」和宮歌碑

 

 

弁財天の池

 

 

「シオカラトンボを見つけました。季節は夏です。

弁財天の池に「睡蓮」が咲いていました。

 

 

 

八瀬沢の一里塚

江戸期の一里塚の様子を現代に伝えていて、道の両方に塚があります。

 

 

細久手宿

 

 

 

 

14:30に琵琶峠を越えて、細久手宿に到着しました。

峠越えで、コテコテに疲れていたため、早めに宿屋に行くことにしました。

大黒屋さんの好意でチェックインの時間を早めていただきました。

 

大黒屋さんは1859年に再建し現在に至っています。尾張藩の定本陣でした。

「登録有形文化財」になっていて建物を自由に改造することができません。階段、襖の絵、などその当時のものです。

 

 

注意書きに、「足音などあまり立てずにお使いください。」

とありますが、注意して歩いても「ミシ、ミシ」と音がします。この日のお客は私たちだけです。少し音がしても勘弁してもらうことにしました。

 

90歳を越えたこの家のおばあさんからたくさんのことをお聞きました。

一昔前までは大黒屋の前の道が、この辺りの幹線道路で、旅の人、輸送に携わる人の行き来で賑やかだったことなどを、昨日のことのようにお話しくださいました。

 

ご主人の心のこもった夕食はとても美味しかったです。

 

夜、登録有形文化財の建物ですから、襖の絵などは江戸時代のものです。襖の紙は黒ずんでいます。ただ描かれた人の顔の目だけが光っています。その視線を感じながら布団に入りました。本当に貴重な体験でした。