2016年1月10日(日)晴
「中山道トコトコ歩き」は、「浦和」から出発して「少林寺達磨寺」までは順番を巡ってきました。でも、難所の「碓氷峠」を越えるには雪が積もってしまってからは、雪が溶ける春を待たなければなりません。雪が降る前に峠を越えようと思いました。
板鼻、安中、松井田、を飛ばして、いきなり碓氷峠を越えることにしました。
そして、峠を越えた体験をした人が、「碓氷峠は横川から越えるより、軽井沢から越える方が楽だよ」との助言をしてくれました。「楽な方が良い」とのことで、軽井沢からの出発となりました。
大宮から新幹線に乗って、寒い寒い軽井沢の駅に着きました。
快晴の軽井沢駅の前の広場です。真っ青な空ですが風が冷たく寒い朝です。霜が一面に降りています。二人ともリュックの中からセーターを出しジャンパーの下に着込んで碓氷峠を目指します。
朝が早かったのでほとんどの店のシャッターは閉まっています。パン屋さんが一軒だ
け空いていました。昼食用のサンドイッチとお茶を買いリュックに詰め込みました。
緩い勾配のアスファルトの坂道が続きます。おみやげ屋さんを通り越すと、しゃれた別荘が林の中に点在します。別荘の林を抜けると急に勾配がきつくなります。
万有引力に逆らって歩くのは本当にきついです。中山道を歩いて、初めての本格的な急坂です。あまりの運動量で、汗が噴き出します。先ほど着込んだセーターを脱ぎ、峠の峰を目ざしました。
「ハアー、ハアー」咳き込みながら林の道を歩いてゆくと、急に明るくなり、
熊野皇大神社の鳥居が見えてきました。
なんとかかんとか峠の峰に到着いたしました。
熊野皇大神社には長野県側と群馬県側それぞれに神体があります。
わかりづらい写真ですが群馬県側から撮っています。写真の左下に長野県側のお賽銭箱、群馬県側のお賽銭箱が二つあります。
それぞれのお賽銭箱に10円玉を入れて、5つのお願いをいたしました。
①カミさんが私より長生きをしますように。
②お兄ちゃん達がイギリスで活躍し、立派な絵が制作できますように。
③フランスのアッコ、ルーシー、クリが元気で生活出来ますように。
④「めぐの番組」が長続きをしますように。
⑤私が少しでいいから長く生きられますように。
2つのお賽銭箱ですので、その場で「10回」のお願いをしたわけです。
いつもは二人で20円で済んでいたのですが、このい時は40円も使ったわけです。
神社の長野県側にシナノ木のご神木がありました。信濃(しなの)の国のシナノ木か?なるほどと感心いたしました。
さて、峠を下ります。
アスファルトの道はすぐに終わり、クマ笹の茂る道を下るのですが人一人がやっと歩ける道の広さです。足元は10cmを超える霜柱です。
カミさんが、「いくら何でも、この道狭すぎるよ!道を間違えたのではないの?」と真剣に悩み始めました。私もあまり自信がありません。
「間違ってはいないはずだよ!」と言いつつ、不安になりました。
すると横川から碓氷峠を登ってくる人がいました。
「あのー。この道は中山道でしょうか?」と聞くと
「そうですよ、まっすぐに行くと坂本宿につきますよ。頑張ってください!」とはげまされました。
普通、下ってくる人が、登ってくる人を励ますわけですが・・・。この場合は反対でした。
こんな山道を歩くのです。昔の殿様も、和宮様も本当に大変だったと思うのです。
暗い杉林の中に立て札があります。
「この辺りに、山姥がいて旅人を苦しめました。」
「ここは、山賊が出没し、旅人の金銭を強奪したりしていました。」
とても怖い立て札ですが、この辺りを旅情的に知るのには面白い立て札です。
また、人気の全くない杉林の中に、「ここに学校がありました。」とか、「お茶屋があり、たいそう繁盛していました。」などの「立て札」がありました。
私たち二人は山姥、山賊、熊に合わずに、暗いスギ木立ちの道、明るい尾根の道を通り、無事に坂本宿にたどり着きました。
広重 坂本宿
正面に見えるのが刎石山(はねいし山)です。中山道はこの山を登って碓氷峠に行きます。山に入るとすぐにきつい坂道になります。私たちは反対方向から来たので、き
つい坂道を下りました。
標高=軽井沢駅(960m)→碓氷峠(1200m)→坂本宿(450m)
中山道の難所の一つ碓氷峠を《制覇》しました。充実感でいっぱいです。
・夜は絶対に無理です。
足がパンパンに膨れていたので、この短い階段もヤットコ サットコあがりました。
「碓氷関所跡」、「碓氷峠鉄道文化むら」などゆっくりと見学すべきところがありましたがコテコテに疲れていたので、横川駅近くの「おぎのや本店の釜飯」を食べて、帰りました。
天気が良くて本当に良かったです。