2015年11月21日(土)晴

                          英泉   吹上宿

 

歩き始めの頃(10月の頃)「京都までと思えねど、せめて 熊谷 ぐらいまでは歩いてみたい」と思っていました。よく晴れた小春日和の日に熊谷まで歩くことは、とても気分のいいことでした。

 

荒川の土手

権八延命地蔵

 

  幡随院長兵衛「お若けえの お待ちなセー」

  白井権八  「待てと おとどめなされしは・・・」

歌舞伎の名場面です。権八は極悪人(?)で、鈴ヶ森で刑死しました。でも、歌舞伎に登場するほどの江戸のスターの一人でした。

その権八が、この地蔵様の前で、人を殺めました。その様子を見ていた地蔵様に

「おい、ここでのことを人に言うんではないぞ!」とおどしました。

すると、地蔵が

「お前も、決して人に言うなよ。」と返したそうです。

 

権八延命地蔵を過ぎ、土手を登ると視界が広がり気持ちの良い土手の道となりました

天気の良い日で、荒川の向こうに富士山がしっかりと見えました。

 

この清んだ綺麗な小川、元荒川の源流近くです。

岩槻、越谷辺りの流れとは全く違っています。この清流に県の天然記念物に指定されている「ムサシトヨミ」(2〜3cmの魚で絶滅の危機にあり、清流で水草の多い、ここにしか生息していません。)が生息しています。

 

熊谷市街地に入り「中山道の標識」が少なくなってしまい、道に迷ってしまいました。そこで、古い酒屋を見つけ店番をしている「おばさん」に

「中山道はどちらでしょうか?」

と尋ねました。

「さあ、知りませんね。わたしらには『中山道』がどこにあるかは関係ありません。」

との返事です。「ああ、聞き方が悪かったのかな?」と反省いたしましたが、意外な答えに面食らってしまいました。

しばらくして若い人に道を尋ねました。

「ちょっと待ってください。と、その人の家に入り・・・。

「パソコンで調べました。中山道までご案内いたします。」と丁寧に案内をしてくれました。

酒屋さんのおばさんと、この若い人の対応のあまりの違いです。

 

 

熊谷宿の終点を「熊谷寺」にしていました。

龍谷寺が見え、「やっと今日の終点」と元気が出てきましたが・・・。

山門は固く閉ざされ、「本山は檀家の方のみ、入山ができます。」との立て札があり

お寺に入ることができません。

「え、え、え、え!」疲れが「どーっ」と出てきました。

「熊谷直実」の墓があると聞いています。せめて墓の前で「手を合わせたい」と思っていたのに、本当に残念です。

 

お寺の財産(言い伝えを含めて)って、「檀家」と「お寺の住職」だけのものだろうかと思うのです。お寺の存在は公共的なもので、「市民」みんなのものです。

従って「公開」が原則です。もし、公開ができないとしたら、その理由をきちんと説明すべきものと思うのです。それをせず、門を閉ざす、お寺の姿勢に大きな疑問を感じました。こんな事がらで、街の印象は変わってしまいます。

 

いろいろなことがあった1日でした。熊谷から「高崎線」に乗って帰路につきました。