2015年10月14日(水)・晴れ
この日が私たちの「中山道トコトコ歩き」のスタートの日です。
※この時は、「中山道歩き」のイメージがなく単なる散歩なので写真などの記録を残
していません。近くなので、写真等は後ほどページを起こしたいと思っています。
一週間に2回ぐらい1時間、休憩をしないで歩くことに決めました。行き先はとりあえず「中山道」と決めました。
家から30分歩くと、どこまで行けるのかな?と思い、とにかく出かけることにしました。
家の前の遊歩道です。椿が咲いています。
私の家は「天王川の遊歩道」に面しています。
この天王川は私たちがここに住むようになった時は「暗渠(あんきょ)」ではなく、川が流れていました。この川は大雨が降ると水が溢れてしまいます。
「今日の雨はいつもより強い!」と思うと、みるみる川が増水し、道路に溢れてセンターラインもたちまち見えなくなります。車の通行もできなくなります。大雨の時はバスも通行できなくなるため、北浦和の東に住む人たちはこの川を越えなくては駅に出ることができません。1年で2、3度は必ず、このような状態になっていました。
私の家も大雨の時は大変で、外に出ることができません。
20年くらい前にここを暗渠にして遊歩道となりました。この遊歩道はとても歩きやすく、いろいろの人が、いろいろな所からわざわざこの遊歩道を歩きに来ています。
秋の風が爽やかにふき、日差しが明るく道路を照らしています。私たちは運動靴を履いて、元気よく我が家の玄関を出ました。
北浦和駅前の交差点(私たちのトコトコ歩きの出発点です。)
河西祐之助の墓ちょっと読めません。
日本で最後の仇討ちが行われた「一本杉」の跡です。
家から一番近くにある、中山道の「遺跡」です。1864年1月(この年の7月に京都の池田屋事件が起きています。)日本で起きた最後の仇討ちと言われていますが、地元でもこれを知る人はあまりいません。
この仇討ちには2つの説があります。
①浦和市教育委員会資料
丸亀藩浪人「河西祐之助」と水戸藩士「宮本鹿太郎」との間に起きた仇討ち事件です。
4年前、宮本鹿太郎の父、宮本佐一郎と河西は酒の席でのいさかいで刀を抜き会うことになり、佐一郎は命を落とすことになった。河西は同じ道場の仲間であったが、ささいなことで斬り合いになったことをくやんだ。仏門に入ろうと、中山道の針ヶ谷村まで来た時に鹿太郎に会い、仇討ちとなった。
3人の助太刀を得た鹿太郎にかなうはずもなく、はとんど抵抗をすることもなく、切られて落命をした。
②地元に古くから住むおばあさんの話
「私のおばあさんに聞いたのだけれど・・・。」と言いながらこんな話をしてくれました。
「仇討ちがある。これは大変だ。みんなで見に行こう。」ということになり、お弁当をもって、みんなで見物をしたとのこと。
朝の10時ごろから始まり、夕方辺りが暗くなるまで刀を抜いて立ち会っていたとのこと。一人のお侍が倒れるまで、みんなで観ていたとのことです。
人が殺されるわけで、とても、とても残酷であった。という話が伝わっています。
与野駅前の松並木の跡です。
近くの上木崎小学校の校歌(♪中山道の松の風 歴史はかおる 朝夕に・・・♪)とあります。
天王川の赤い遊歩道をトコトコと与野駅近くまで歩き、中山道に合流しました。与野駅を越えたところに2本の松があります。今は松の木が2本だけですが、
昔は「松並木」と言われるぐらいあったようです。
「お女郎地蔵、火の玉不動尊」
この10年で一番様子が変わったのが「新都心駅」辺りです。
●「千鳥」という大宮宿の女郎さんいました。材木問屋の若旦那と恋仲になり、「ねんき」があけたら夫
婦になることを約束していました。そんな千鳥を盗賊の徳次郎が見染めました。そして、何としても身
請けすると宿の主人に脅しをかけました。強引に言い寄られ、千鳥は思い悩み、高台橋から身を投げて
しまいました。その頃から、高台橋に千鳥の「人魂」が現れました。哀れに思った村の人たちがその霊
魂を慰めるために「お女郎地蔵」を建てました。
●昔、高沼用水の「高台橋」がかかっていてこのあたりに刑場があった。千鳥を見染めた盗賊の徳二郎は
この刑場で、1789年(寛政元年)刑死したと伝えられています。
30分で、「新都心駅」まで歩くことができました。
いつもなら「新都心のコクーン」に寄って買い物などをするのですが、この日はコクーンに寄らず30分かけて家に帰りました。
1時間歩くのは簡単だね!よし今度は、中山道を北に向かうと、1時間でどこまで行けるのかな?と日を改めてささやかな挑戦をすることにしました。
30分歩いただけで、「一本杉の仇討ち」、「お女郎地蔵・火の玉不動尊」の二つの遺跡に出会うことができました。「一本杉の仇討ち」の話は知っていました、「お女郎地蔵・火の玉不動尊」火の玉不動尊」の話はこの遺跡に改めて寄って、「言われがき」を読んで初めて知りました。
次回は新都心→大宮宿→宮原と続けます。