昼休みに、チャンネルをそのまま昼飯を食べていると、どうやら国会中継が放映されている。
その中で、職業柄、非常に興味を引く話題があった。

先日、北海道のグループホームで7人の命を失う火災があった。
出火元は石油ストーブとその周りに置かれた洗濯物。スプリンクラーは設置されておらず、結果的にもし設置されていたとしても結果は変わらなかったかもしれないが、結局その不備があった事で、そのことをこれから先、大々的にあちらこちらで伝えられるのである。

『施設で石油ストーブなんて信じられない!』
『いまどきの施設なのにスプリンクラーもない』

僕の努める施設にもそのあおりを受け、今日、消防署の査察が入った。
『居室の入口に暖簾をつけるならば防火加工をされているものを』
『非常口の前に洗濯物は干さないように』
『机と机の間は○メートルあけて設置』

その3点を挙げ、消防署は半日ほどで帰っていく。


それだけか・・・。
と思う。

定められた規定に沿って物品や設備をそろえておけば、日本という国の災害対策はそれで安全を保障する。

実際の所どうだろう。

数日前、例の北海道のグループホーム火災の報道とともに、その施設へ昔働いていた人のインタビューが流れた。

『1人で8人を外へ連れ出すのは不可能だと思う』

施設によって人員配置はまちまちである。
中には、経営上それで手一杯の施設も大半である事もまた事実。

それではどうしてそんな施設が大半を占める福祉業界がここ数年で構築されてしまったのだろうか??


まぎれもなく、国の『福祉分野』の民間委託である。

それでももともと資金のあった会社は、民間というカテゴリーを武器に、目覚ましい発展を遂げ、素晴らしいサービスを提供している。

その一方で、その株式社会へ突然のように放り投げられた法人は、もうそれから何年と経つにも関わらず、お客様への挨拶の仕方すらいまだに心得ていない現状。そんな指導者が新卒社員を育てるのだから悪循環はいつまで経っても抜けられるものでもない。

そして、一番問題なのが、福祉への参入の加速。

不景気の中、あれが良い、これが良いと新規事業へ目を向ける段階で、それまで明るみにならないでいた【福祉】という分野へ最後の希望と期待を抱いた経営者も多かったと聞いている。

その時点で、サービスを整えるだけの資財はなく、もっとも利益を追求する事自体が福祉という概念から考えれば大きな矛盾のように思えて仕方ないのだが、利益に転じるまでの経営が既に持たない状態で、人員を確保する事、あるいは設備を整える事、サービスの質を向上させる事は果たして可能か??と考えた時、誰もが【NO】と答えると思う。
ましてや福祉など一度もかじったことのない全くの素人ですら福祉施設を経営出来てしまう事が、ここ数年の某サービス提供会社の倒産を産み、不正請求を産み、そして数多くのトラブルを産んでいた事を問うものは、残念ながら国会中継では確認できなかった。


以下、国会中継の大まかな内容である。

『先日の北海道のグループホーム火災を受け、老人施設には、規模にかかわらずスプリンクラーを設置する事を義務付けるよう望みます。』


というもの。


それでは。


はたしてスプリンクラーで本当に出荷を100%、防ぐ事は可能なのだろうか??

それでももし出火してしまった時、最初の話へ再びリンクする。


1人のスタッフが、火の回る短い時間の中で、はたして何人の老人を抱えて外へ飛び出す事が出来るだろうか。


この施設では1人で8人の老人をスタッフが見ていたという。

これでも、法律上、規定は満たしているのだという。


僕が務める施設は、夜になると1人で20人を見る事となる。
その中で、万が一地震、火災、その他災害が起こった事を考えると、何ができるだろう??と考える。


これでも規定を満たしているのだから恐ろしい。

その仕組みには、『1対3』という数の魔法。

結局の所、提出するのは上の数字以上の人員を満たしていますという数字である。

たとえば100人のお客様に対して50人のスタッフが居ます。
1:2である。

しかし、その50人で3交代のシフトを組むとなるとどうだろう。

そして、実質、50人のうち、純粋に介護だけに携わる専属スタッフは一体どれだけの数なのかを考えてほしい。

ケアマネージャー兼介護員
相談員兼介護員
運転手兼介護員・・・

甚だしいと、施設長兼介護員・・・なんて馬鹿げた役職を設けているところも聞いた事がある。


国会へ一言、物申す。

設備うんたら・・・の前に、実質、そういうのって可能ですか??

もちろんあなたがたが見る設備も大切なのはわかります。

それでも、建物にせよ、設備にせよ、所詮人間が作ったものであり、完璧など何一つないわけなのである。

もう一つ付け足すならば、その人間が作ったものの中で足りないものを何が補うかと言えば、それだってまぎれもなく僕ら人間自身なのである。



そしてもう一つ。

実際その場を見たこともない、きれいなスーツを着込んだ議員が自分の価値観でモノを言うな・・・

言う前に、すべての現状を自分の目で、耳で、鼻で、手で、足で・・・
確認してから物を言え・・・と。


そんな事を思うのは僕だけだろうか。