義理の母と私、一緒に住んでます -2ページ目

義理の母と私、一緒に住んでます

夫を急性心筋梗塞で亡くして、もうすぐ5年。
同居し続けている義理の母との出来事を日々綴っていきます。

義母の葬儀が終わった翌日、

 

義母が1年間お世話になった施設から荷物を引き上げにいった。

 

 

施設入口では、

 

『消毒、マスク交換、記名』に『検温』が増えていた。

 

 

 

義母の荷物のなかで、

 

持ち帰るのが大変なテレビとポータブルトイレを引き取っていただけたので、

 

一度に持ち帰ることができる量になった。

 

 

そのうえ、

 

義妹のご主人がちょっと残って手伝ってくださったので、

 

大助かりだった。

 

 

まだ、

 

コープの注文品の受け取りや、(亡くなる3日前にも注文書を書いていたので)

 

残っている支払いをしなければならないが、

 

部屋はからになって、一段落した。

 

 

 

わが家のテレビ、

 

嫁いだ時は信じられないことに6台もあったのに、

 

やっと2台にまで減った。

 

 

人が減るとさみしけど、

 

テレビは減るとうれしい。

 

 

 

義母の荷物は義妹が義母専用納戸におさめ、

 

そのうち整理に来るらしい。

 

 

そして、

 

義母が書き溜めた手紙の束。

 

自分の死後に、相手に読んでもらいたいと書いた手紙。

 

書き始めたのが、義父(夫)が亡くなってからだから、

 

かれこれ6.7年前から書き始めている。

 

 

私宛が一番多いけれど、

 

主人と娘宛あわせて10通ほどの束。

 

 

もともと準備に準備を重ねるような人だったけれど、

 

ほんと義母らしい。

 

 

ほとんど内容は同じ。

 

着物と小物が財産で、

 

私がお茶をしているので、娘と使ってほしいこと。

 

ルビーの指輪は娘にあげてほしいこと。

 

保険金は義妹(娘)の名義だからそれで葬儀費用をまかなってほしいこと。

 

後細々としてた持ち物の処理、自分の至らなさと感謝。

 

一番後悔をしているのが、入れ歯だと告白していないこと。

 

 

 

入れ歯であることをそんなに気にして、恥だ苦だと、思い悩んでいるとは、

 

夢にも思わなかった。

 

 

1通、私と義妹宛にしてある封筒があるから、開いたら、

 

入れ歯になった経緯から、だまっていた謝罪から、どんなに苦しい思いをしてきたかを延々と綴っていた。

 

それも、小さい字で2枚もわたって・・・

 

 

これからも相談し合って仲良くしてくださいじゃないのね・・・

 

 

義妹が、施設にはいるまで、母が入れ歯だったことを知らなかった。

 

って言うのにも、ちょっと驚き。

 

 

義妹は入れ歯だったことに衝撃らしいが、

 

わたしは、義妹が入れ歯だったことを知らなかったことに衝撃。

 

 

 

義母が死の直前に入れ歯を入れて欲しがるわけだわ・・・

 

 

 

歯医者にいかなくていいのは、総入れ歯だからだと思っていたし、

 

逆に、いつ外して洗浄しているんだろうと不思議に思っていた。

 

 

入れ歯に関しては、まるでコメディとしかいいようがない。

 

 

 

一番肝心なことはどうなの?

 

 

わたしの財産とさんざん書いても、

 

着物も指輪も処分したら、よくて数万円の世界だよ。

 

 

 

一番財産となるものは、

 

着物でも指輪でもなく、

 

私たちが今現在住んでる土地だよ、お義母さん。

 

 

義妹は、

 

お金は母に聞いたらしい分を仕分けたあと、

 

お金も土地も分けると言って、

 

それを覆さず帰って行ったよ。

 

 

どうするのが一番いいのかな・・・・

 

まあ、考えてもわからん。

 

なるようになる???

 

義母、享年88歳。

 

3月6日、葬儀・告別式。

 

 

10人ほどの小さな式だが、

 

着物が好きだった義母に最後のありがとうの気持ちで

 

私は、両日とも着物で過ごすことにした。

 

 

9時葬儀開始。

 

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀

 

読経にあわせて心の中でブツブツ念仏を唱える。

 

 

もうあっという間。

 

9時半過ぎには告別式で棺桶に花を入れはじめた。

 

 

10人ほどしかいないので、

 

それぞれがどんどん花をつめていって、

 

義母は、見るまに見事な花畑に埋もれた状態になった。

 

 

亡くなる数日前まで、

 

食欲が落ちつつも『好きなものを食べる』

 

ということができていたので、

 

顔を見る限り、

 

特にかわりのないきれいな顔をしている。

 

 

そして10時過ぎには、もう出棺。

 

 

 

義妹が位牌、娘が遺影をもって火葬場へ移動。

 

 

最期のお別れをして、あっという間にスイッチが入った。

 

 

会館へ戻ったのは10時半過ぎで、

 

早い昼食をとって12時前にはまた火葬場へ戻る。

 

 

12時半には骨上げがはじまって、

 

1時過ぎには、初七日の法要のためにお寺の本堂に座っていた。

 

 

そして、義母の抜け殻、

 

3時には骨壺にはいって自宅に帰ってきた。

 

 

今日は、なにもかもが、早送りで進んでいったような感覚だ。

 

 

それでも、

 

しっかり生ききった人だったと思う。

 

 

おつかれさまでした。

 

 

 

義母。令和2年3月4日。享年88歳。

 

さすが義母。数字まで美しく整えている感がある。

 

 

義妹が、

 

施設に義母が遺影にしたいと言っていた写真があると思う。というので、

 

5時半起きで6時に義妹を乗せて家をでる。

 

 

義妹がごそごそ探しても、写真は見当たらなさそうだったが、

 

義母が亡くなった後、皆に渡すように言われていたらしい手紙類やら、

 

まだ残っていた貴重品なんかをまとめて紙袋に入れていた。

 

 

車できたついでに荷物をまとめてあった紙袋をいくつかつんだが、

 

肝心の紙袋を忘れてきたというので、

 

ため息がでた。

 

 

しばらくして、

 

住職が枕経をあげに来て下さり、

 

通夜と告別式をあらためてお願いする。

 

 

 

時間があったらとりに(忘れてきた紙袋)行こか?

 

と言われたが、それはない。と内心思う。

 

 

そうするうちに、

 

会館の方が打ちあわせに来られて、

 

最終の詰めをするのに立ち会った。

 

 

結局、遺影の写真は、60代後半、結婚式に出席したときに

 

義父と共に写真館の人に撮ってもらったものを使うことにした。

 

 

 

バッチリ化粧して美しく整えているので、

 

今とギャップは感じるが、

 

美しくいることが大事な義母らしいとも思う。

 

(実は、使ってほしい写真はまさにこれだったことが後でわかる)

 

 

打ち合わせ後、私が昼食をつくっていたら、

 

息子の合格がわかり、飛び上がって喜ぶ義妹。

 

 

(忘れた紙袋を)電車とバスでとりに行ってこようかな。と言っていたが、

 

それよりも、

 

息子の件でスマホにむかうのに忙しくなった。

 

 

 

昼食後、

 

着物に着替えおわったころに、

 

自治会の方が3人、代表で手を合わせに来て下さったり、

 

偶然近くの美容室にいた叔母のところに母からの電話が入って義母のことを知り、

 

「これは呼ばれた思って。」と言ってかけつけてくれたりして、

 

あっというまに会館へ向かう時間になってしまう。

 

 

会館についたら、

 

湯灌の儀をして納棺。

 

命のぬけた肉体を清めて、オイルをぬって化粧して・・・

 

 

 

 

まわりに義母の存在を感じられるものだから、

 

抜け殻になった肉体を見ながら不思議な感覚がした。

 

 

 

主人の祭壇を選んでいるのに、

 

わたしのときはこれがええ。

 

とカタログ好きを発揮していた義母を思い出す。

 

 

10人ほどだけれど、

 

ご希望通り、花いっぱいの花祭壇にした。

 

 

ちょっとさみしい通夜式ではあったけれど、

 

喜んでくれているかな・・・とも思う。

 

 

 

 

 

 

義母87歳。

 

心不全と末期腎不全でホスピスに入所していた。

 

 

義母が亡くなったその日、

 

往診日で、義母の入所する施設を訪れたが、

 

まさか義母を看取ることになるとは思わなかった。

 

 

 

しかし、

 

前日に娘の卒業式を終え、

 

この先1週間、ほぼすべての予定がコロナウイルスの影響で中止になり、

 

『じっくり向き合えるこのときにあわせて天に帰っていった』

 

としか思えないようなタイミングだった。

 

 

帰られた主治医の先生に

 

再び死亡診断書を書いてもらうようにと連絡がいった。

 

 

死亡診断書、

 

バス、電車を乗り継いでやってくる娘をまって身体を清め、着替えがすんだら、

 

自宅に帰りたいだろうから、連れて帰ることにした。

 

 

そして、

 

義母が葬儀用積み立てをしていた大和会館に連絡して、

 

会館での葬儀と施設から自宅へ連れ帰る車の手配をお願いする。

 

 

義父、夫、義母と3人目になると、

 

落ち着いて着々とすすめていく自分がいる。

 

 

義母に対して、後悔ないしね・・・

 

 

義母は、昨年の3月18日に入所したので、

 

1年を迎えようとしているところだった。

 

 

夏までもたないかもしれない。

 

などと言われたりもしたが、

 

至れり尽くせりの施設で、

 

最期まで、生命力を発揮して生き切ったのではないかと思う。

 

 

死亡診断書の死因は心不全。

 

令和2年3月4日。

 

「2、3、4って並びがいいですね。」

 

先生の書くそばからぶつっと言ってしまう。

 

先生も生命力の強さは認めるところだった。

 

 

娘はというと、バスを降りて、駅から、

 

「イコカの残高ない。財布忘れた。」

 

と電話をかけてきて、迎えに行く始末だ。

 

 

施設につき、祖母と対面して、

 

「2人になってしまった。」

 

と、まず涙した。

 

 

娘も、祖父、父、祖母と3人目のお別れだが、

 

光に帰っていったことに納得できる人なので、

 

変な心配をしなくていいのがありがたい。

 

 

 

まっていた娘が到着したので、

 

身体を温タオルで清めていき、着替えをした。

 

入所中に、義妹と百貨店に出かけて買ってきた洋服だ。

 

義母は、最期までおしゃれな人であった。

 

 

それから、

 

大和会館に連絡して、

 

私は一足先に自宅に帰ってお迎えの準備をする。

 

 

娘は、

 

義母と一緒に車にのってかえってきてくれることになった。

 

なんの躊躇もなくやれる娘でよかった。

 

 

通夜、葬儀の日程は候補の中から移動中の義妹に決めてもらい、

 

寺に電話を入れて、時間を決定する。

 

 

翌日の通夜だったので、

 

義妹が家につく時間にあわせて打ち合わせにきてもらう。

 

10時30分。葬儀屋業も大変だ。

 

 

喪主は、義妹にお願いすることにする。

 

 

家族葬で、わずかの人数しかいないし、

 

そのなかでも義母と血のつながっている人は、

 

もう義妹と甥と娘だけだからだ。

 

 

5日17時の通夜。

 

6日9時の告別式。

 

 

もう肉体は抜け殻で、

 

義母はそのへんにいるようなそんな感覚がする今回。

 

やる気もなく、かなり気抜け状態のわたし。

 

 

 

遺影にしてほしいという写真が施設にあるはずだから、

 

8時の枕経の前にとりに行こかという義妹。

 

仏壇の横においていたのをもっていったとか。

 

 

え~

 

睡眠時間1時間半で運転して取りに行くの~~~

 

つらいな~

 

 

 

 

 

 

横になっている義母のところに、

 

往診で先生が来られた。

 

 

看護師さんが、

 

義母の足の状態を先生に見せるために、

 

足にはっているシートを触ったら、

 

「痛たたたたた・・・」

 

と大きな声が出た。

 

 

実際に痛くても、痛いと訴えても、

 

叫ぶような声をあげたことなどない義母が、

 

声をはりあげたので、

 

痛みも極度に達したのかなと予測できた。

 

 

義母の足があまりにも痛むようだったので、

 

身体に負担がかかってどうなるかわからないが

 

薬を使って痛みを軽減するほうをとるか

 

痛むが我慢し続けるほうをとるか

 

施設長が義母に聞き取りをして

 

麻薬テープを使う決断をされたようだ。

 

 

主治医の先生は、私に、

 

上がったり下がったりしつつ、

 

状態は確実に悪くなってきている。

 

とおっしゃって施設をあとにされた。

 

 

 

そのあと、

 

看護師さんが3人がかりで

 

両足のパット交換のために

 

足の洗浄、薬の塗布をされたが、

 

寝たままやるのは至難の業で、

 

両足が座った形で固まっている義母には苦行だった。

 

 

動かすたびに、触るたびに、声をあげて、

 

「痛い、痛い、痛たたた・・・。」

 

と言い続けた。

 

 

痛い痛いとさんざん声を張り上げたせいなのか、

 

入れ歯がかぷかぷ外れていたので、

 

看護師さんがはずしておこうかと声をかけて外された。

 

 

絶対に人前では外さなかった入れ歯を

 

洗浄だけさせてくれるようになったと聞いて、

 

それも驚いたことのひとつだった。

 

 

朝から、全く飲み食いしていないそうだし、

 

これは、復活できないんじゃないかと思わざるを得なかった。

 

 

義妹にラインで現状報告をしつつ、

 

ひとり義母のそばに座っていた。

 

 

落ち着いてはいたが、やっぱり

 

大丈夫なんだろうか?

 

という思いがやってくる。

 

 

でも、声をかける言葉も見つからず、

 

「何か飲みたくないですか?」

 

と言ってみた。

 

 

すると、手をのばしてきて、何か言いたそうにするので、

 

「何かいるの?欲しいものあるの?」

 

と聞いてみたが、口はもごもごしても、

 

言葉はでない。

 

 

コールボタンを押そうとするしぐさがみえたので、

 

「誰か呼ぶの?」

 

と聞いたら、うなずくので、

 

看護師さんに声をかけた。

 

 

 

結局、

 

入れ歯を入れて欲しということがわかった。

 

 

でも、上の歯を入れて、下の歯を入れようとしたら、

 

もうしんどくて入らなくなってしまった。

 

 

そうするうちに、

 

義母の呼吸の状態があやしくなってきた。

 

 

それは、

 

義父が亡くなる直前にしていたあえぐような呼吸を思い出させた。

 

 

看護師さんが、脈をとったり、血圧を測ったりしはじめて、

 

施設長に連絡をとった。

 

 

私は、

 

背中をさすったら、

 

「もうええ。」

 

と言う義母の想い出に躊躇しつつ、

 

背中に手をおいた。

 

 

あっという間に、施設の職員に囲まれて、

 

看取り態勢にはいっていった。

 

 

施設長が義妹に連絡を入れたら、

 

うまく繋がり、

 

義妹に話しかけてもらうものの、

 

義母はもう返答ができない状態になっていた。

 

 

そして、

 

娘の声を聞いて安心したのか、

 

あっという間に息が半分とまりそうな状態に陥った。

 

 

あわててこちらに来ようとしていた義妹に、

 

再び携帯をつないで、

 

もう間に合いそうにないから、

 

声をかけ続けてあげるように話される。

 

 

私は、

 

義母の口元を見て、義妹の声を聞きながら、

 

義母の手を握っていた。

 

 

少しずつ、呼吸の回数が減っていき、

 

握っていた義母の手に力がなくなり、

 

呼吸が停止した。

 

 

全く泣かないだろうと思っていたが、

 

魂が抜ける瞬間には、あふれるように涙がでた。