先日、BL小説で担当をして下さっていたKさんが亡くなった。本当になんの前触れもない、突然のお別れだった。

 

 Kさんと私が仕事をしたのは、かれこれ20年近く昔のことだ。それからしばらく私の原稿が上がらなかったことで疎遠になり、10年くらい前にKさんが共通の知人とご結婚されたことで再び会うようになった。相変わらず私の原稿は上がらず、仕事の打ち合わせのようなふりをしてたまに食事や長電話をするという、古き良き?編集者と作家の関係であり、友人だった。

 

 Kさんといっしょに仕事をしていた2000年前後は空前のBL小説ブームで、出せば大体なんでも売れる時代だった。そういう時代なので、Kさんと一緒に作った本もそれなりに売れたが、他の作家はもっと売れていたのである。今、Kさんに対して思い残すことがあるとすれば一つだけ、なぜもっと早くに原稿を上げて、Kさんに渡せなかったのかということ。編集者孝行がしたいなら、ヒット作を持たせるのが一番だ。Kさんが手がけた本の中で、一番のヒット作は私の作品ではないのである。悔しいなあ。Kさん、もう一回チャレンジさせてよ、と言ったらきっと「水戸さんはそう言って原稿上がらないでしょ、早く上げて下さいよ」と言ってくれるだろう。「ツイッターばっかりやってないで原稿!!」とも言ってくれた。そういう真っ当な諫言をしてくれる、真っ当な編集者であり、友人だった。

 

 最後にKさんと会ったのは、去年の夏コミだった。そうだよ、コミケだったね。お互いに20代で初めて出会ったのも、最後に会ったのも、コミケだったね。そしてKさんの旦那さんもコミケ関係者、ミスターコミケみたいな人だ。全部コミケがくれた幸せだったね。私たち、コミケにはかなり幸せにしてもらっちゃったねえ。

 

 遺影とともに飾られたKさんが手がけた本の中には拙著もあった。これはきっと、旦那さんであるMさんが気を遣って置いてくれたんでしょう。Mさん、ありがとうね。Mさんが私たちの大好きなKさんのそばにいてくれたことが、本当に救いです。