考えてもしょーがないことは考えないほうが合理的である。再発や余命については実際に告知されるまで考えないことにしているので、ショックは最小限で済んでいる。がんの告知でもそれほどショックは受けなかった。身内のがん患者(祖父と叔父)が初期の手術のみで完治して長生きしているので、切れば大丈夫だろうと楽観していた。実際はその中では私が一番重い、抗がん剤の追加治療が必要なステージ2だったんですが。

 

 正直、がんそのものの告知よりショックだったのは、抗がん剤の追加治療が必要だと告知された時ですよ!! だってこっちは「手術したら治療は終わり」って勝手に思っていたからねー!!! 

 

「てもまあ、こんなに軽い手術だけじゃネタとして薄いから、抗がん剤もやっとくか」と売文業特有のいじましい気持ちで切り替えるのは早かった。書籍化のオファー、いつでもお待ちしております。漫画化の場合はネームも切れます。そういういじましい性格で本当に良かったと、自分自身への好感度が常にストップ高。

 

 そんなわたくしですが、4回目の抗がん剤の直後、主治医から「腫瘍マーカーが上がってます。次、また上がっているようなら抗がん剤の種類をDCからAPに変えます」と言われた時はショックを受けた!!

 

 確かに、3回目の検査ではCA-19-9は13.7、CA-125は7.7だったのが、4回目ではCA-19-19が74.6 CA125が9.8に上昇していた。

 

私「え、その場合、あと何回抗がん剤が続くんです?」

主治医「腫瘍マーカーが下がるまでです」

 

  つまり、終わりが見えないと…!?(゚Д゚;)

  

 正直、DC療法は楽だった。いや、楽とまで言ったら言いすぎだけど、吐き気はないし手足の痺れもない、これなら全6回くらいなんとかなるだろうとホッとしていた矢先にAPだとおおおお!?

 

 私は両親ともに一滴も飲めない下戸のサラブレッド。ビール1杯で動悸とだるさに襲われる。アルコールを分解できる酵素が体内に極端に少ないんだよーーー! 最初に抗がん剤治療が決まった時に「アルコールが一切飲めない人でも比較的大丈夫とされているDCにして下さい」と診察室でぴえんぴえんと訴えた!! だから多分APは吐くわ!! ってぴえんぴえんしていたら主治医が、「最初の標準治療はTCで、APはステージ3以上からです」と言ったのよ。んで、TCで吐きそうなアルコールよわよわ星人はDC。

 

 吐くわあああああAPに変えられたら絶対に吐くわああああああごはん無駄になっちゃう!!! って ぴえんぴえんしながら100円ショップでプラスチックのゴミ箱を購入。部屋に置くなら洗面器よりいいかなと思って _:(´ཀ`」 ∠):_

 

 まあ結果的には5回目で腫瘍マーカーが下がったので、無事にDC療法を継続できましたが、あんときゃ生きた心地がしなかったぜ…吐く…絶対に吐く…そんなに吐くのが嫌かと言われれば、まあ嫌じゃないですか普通!!

 

 ちなみにDCでも治療中、1回だけ吐いてます。が、それはタクシーで病院に向かったせいであり、車酔いです!! 朝ごはんを食べ過ぎたんですっ!! って病院で強硬に主張してみましたが、「車酔いでこんなに血圧は下がりません」と看護師さんに一瞬で論破されました。うぐぅぅ。ワシは抗がん剤に負けたんじゃない、車酔いに負けたんじゃああああ!!!というテイで押し切りたかった。今思うと何と戦っていたのか。1回くらいは吐くやろ、DCでも。

 

 ちなみにその時は抗がん剤投与後の骨髄抑制を防ぐため、ジーラスタ注射を打ちに病院に行ったのです。朝は本当に元気に起床。タクシーで病院に向かう車中でほんのり気持ち悪くなり始め、診察室に入った直後に嘔吐。診察室まで耐えた自分を褒めてあげたい!! 看護師さんにビニール袋をもらうまで耐えられてよかったぜ…タクシーの中だけは勘弁してくれえと自分の胃に懇願していたぜ…タクシーの運転手さんも同じ気持ちだったと思うぜ…。

 

「今日は具合が悪そうだから、ジーラスタはやめておきますか」という主治医に「もうぜんっぜんつらくないんで、できればジーラスタ打って下さい!!」と食い下がる私。

 

 だって今日ジーラスタを打てなかったら、治療が長引くかもしれないんだよー!! 最短で終わらせたかったんだよー!! 

 

「じゃあ少し休んで、血圧が正常に戻ったら打ちましょう」と主治医に言われ、気合いで血圧を上げる私。なんかこう過去にムカついたことなどを思い出すと血圧が上がるんじゃないかと思い、ツイッターでクソリプを大量に送ってきやがった表現の自由戦士のことなどを考えた。くわぁぁぁムカつく!! 血圧上がる!! そんな感じで無事に血圧が正常値に戻り、予定通りジーラスタが打てました٩(ˊᗜˋ*)و お前ら表現の自由戦士が私の人生で役に立った唯一の事案だよ!!! 表現の自由戦士について知りたい人はツイッターで検索してね!! 検索しても胸糞悪くなるだけだからしなくてもいいけど!! 

 

 ちなみに診察室でふーっと目の前が暗くなっていくあの感じ、校長先生の朝礼が長すぎて倒れた時とそっくりだったわ…意識が混濁していたら「校長の…話……長……っ」ってうわごとを言ったと思うわ…歌い出す校長もいたわ、子供がバタバタと貧血や熱中症で倒れてるのに歌わないでほしかったわ。昭和のことなので年寄りが戦争で生き残った世代で異常に元気で、こっちは戦後生まれだから相対的にひ弱だったんだよっっ。

 

 まあそんなことはともかく。

 

 私にだって一応は、ぜつぼーした瞬間があったんですよ!! 一応!! (゚Д゚)

 

 人間、瞬間的なショックより「終わりが見えない」ほうが精神的にキツいのよね…。