歌い手が肺を患うということ。
しかも慢性。つまり難治性。
元々喘息持ちなので、呼吸器は丈夫ではありませんでした。鍛えてどうにかなるところと、どうにもならないところと。
肺炎は一先ず治りましたが、今は、疲れたり環境が変わると、すぐに胸が苦しくなります。そうなると当然息が重たくなるので、喋るのも苦しくなります。
この症状はこの病気になるまで最近は起こらず、喘息はコントロールできていて、発作はありませんでした。
それでも少しずつスタミナはついてきていますが、生声で歌う息のエネルギーは、喋る時とは比べものになりません。
この状態で、多人数を前にして2時間、コーラスの指導が出来るのだろうか。
その時に頑張って出来たとして、体調の波や再発の不安の中で、迷惑をかけずに続けられるのだろうか。
言葉にしたら心が折れそうで、今まで文章に出来ませんでした。
ですが、そろそろ悲劇の自分劇場やるのをやめてきちんと気持ちを整理して前に進まないと
先日久しぶりに、対面レッスンをしました。
今年の一月に急逝した師匠から引き継いだ、80代半ばの素敵なおばあちゃま。
この方は、私が指導するのは申し訳ないほど、教養に溢れ勉強熱心で包容力があり、かくしゃくとされています。
こんな状態でレッスンなどお恥ずかしく勇気もありませんでしたが、可能なら是非にと言っていただき、私のこの半端な状況でも、人生の荒波をしなやかに生きてこられたこの方なら、阿呆な私が勝手に傷付いたり心が苦しくなったりしないかもと思いました。
案の定、とても楽しかった
久しぶりのお顔は優しくて明るくて、いらした途端に手提げから上等な昆布の大袋をガサっと出し
「先日、玄関に梅酒を漬けた瓶を見つけたから、これを使ってくださると思って!」
はい、使います、使いますとも
今の私には特に、何より嬉しいプレゼントです
そして、続けて取り出されたのは自作の版画を二作。
この方は画家でもあり、版画の会にも入っていらして、私は入院前に咳をしながら作品展を観に行きました。空間の色と温度を包み込むエネルギーに満ちた、あたたかな作品でした
その中から二作品を増刷して持ってきてくださったのです
これだけでもう、癒されまくってHappy
そして、声のことも曲のことも、お伝えするたびこちらの何倍もの感度で受け止め、空間に作品を描くように、身体からの偽りのない息で表現してくださり、ご一緒していて夢のように濃密で幸せな時間でした。
そんな嬉しい時にも私は、しばらくレッスンすると、やはり胸が詰まって息が思うように出ません。軽く鼻歌で歌うことはできても、フルボイスで歌うのはまだ無理。
私の負担を気遣い、時間をとても気にしてくださったので、なんとか終了できました。
至福の時間であったと同時に、その時間をきちんと全う出来ない悔しい思いが残りました。
入院して以来、時間があるので音楽をたくさん聴いたり、じっくり勉強出来ただろうと思う方もいると思います。実際、音楽家仲間や先輩後輩でそのように励ましてくださる方もいました。
ですが実際は音楽を聴くのが辛くて、考えることが出来ませんでした。
ずっと頭痛と耳鳴りと聴力過敏が辛かったせいもありますが、何より心が辛かった。
輝いている人たちを見るのが辛かった。
いつ復帰できるのかも、曲を一曲、満足に歌えるようになるのかも、治らない中どこまで回復できるのかも、再発を防げるのかも、何の見通しもなかったので。
まだ見通しはつかないのは変わらないし、副作用や思いがけない不調が次々やってくるし、先にパラダイスが待っているとは到底思えませんが、日常生活は普通で、少しずつ体力も付いて元気になっています。
多分人前では、すごく元気です
プレドニンの覚醒作用は強力です(3分タイマーで反動あるけど
)
ウジウジ考えても先のことは先にならなければわかりません。
だから考えない(急に強気
)
とりあえず短期的な目標は、体調を整えてレッスンとコーラスの指導に復帰すること。
自分がフルで歌えなくても、呼吸に粘りが出てくれば、歌を伝えることはできます。
まずはそこから。
幸いなことに、しばらく指導法の勉強をしていたりしたので、レギュラーの仕事はほんのわずか。
それでも、体調と体力と薬の加減とを調整できるか、自信はありません。
無理をして再発したら元の木阿弥なので、それも怖いです。
ですが、こんな状態でも待ってくれて会いにきてくれる生徒さんがいることは、とても有難く励みになります。
病気になると辛いのは、周りがそっと離れていくことです。以前健康な時、病を得た人に言われた言葉が今、実感として響きます。
でもそれも仕方のないこと。誰しも自分を必死で生きていて、関わっても何の益にもならない人に関わる時間はありませんから。
そして、そんな時に寄り添ってくれる心温かな人もいて、自分がどう生きてどうありたいかをじんわりと考えます。
健康と病気と、両方を経験したからわかることもたくさん。私は恵まれているほうだと、ここのところ闘病されている方のブログを訪ねるたびに思います。上を見ても下を見てもキリがありません。
ただ間違いないのは、どのような形であれ、誰でもいつかはこちら側になる時が来るのです。
こんな私でなければ伝えられないことが、もしかしたらあるのかもしれないなんて都合よく自惚れて、体力を付け頑張りたいと思います
いつかまた、コンサートで歌えるように。
後戻りしてもしなくても、少しずつ。
凹むな負けるな腐るな焦るな、転んでもタダでは起きるな
生きてるだけで丸もうけ
山あり谷あり、今ある人生を楽しもう