作曲家の三善晃は戦前戦中戦後を通して
日本語の文脈で音楽を書くことを
大切にしてきました

「日本語の文脈で」
すとんとお腹に落ちる言葉です


聴こえてくる音楽のほとんどが
明治期に取り入れた西洋音楽の語法をもとに作られたものです

音楽に限らず
新しいものを取り入れるときはまず真似をします
それだけでも一仕事ですが
さらにその先にようやく
独自性やら自己同一性やらの追求や実現が可能になるのだと思います

時代の流れの中
先人らが試行錯誤して西洋音楽を根付かせようと歩んだ道は
楽曲というかたちとして残り
演奏される音はさまざまに想いを馳せる材料となり
感慨深く胸に迫ります

(その過程で伝統音楽の扱いが疎かになってしまったことは大変残念です)



私たち世代は
生まれた時から当たり前に
西洋音楽を学びました

それを丸ごと捉えた先に
本場のオリジナルを追求したり
別のものに出会ったり開拓したり
メイドインジャパンを探索したり
道がそこにあってもなくても
自分が歩いて作っていくものだ
と思う今日この頃です



私は歌のフレーズを
日本語的に構成してしまいます
特に語尾は顕著です
それは思考を介さず本能的です

日本は
断定を避け曖昧に
余韻を残し行間の含みを持たせる
という文化です

これは民俗性なので良し悪しではありません

生まれも育ちも日本で
日本に暮らし日本語を話し日本語で考えていれば
歌も日本的に傾くのは当然と言えましょう


先日
「叱られて」の動画
を観てくださった
メル友のおじさま(84歳)が
落ち葉の写真と共に
素敵なご感想を送ってくださいました
中学3年生の予餞会で、好きな女の子が人形を負ぶってこの歌を歌ったのを思い出しました。片思いでした。はかなくも切ない想い出です。添付した枯れ葉のようなものです。」

おじさまのエピソードは
切ないけれどどこか懐かしく微笑ましいです
落ち葉ははかないけれど土に還り栄養となり再生します
一人一人の命の営みも同じく
大いなる生命の流れのほんの一部にすぎないけれど
それぞれが尊く輝く大切な瞬間です


歌は一人一人にその人だけの景色をもたらします
その景色の背後のさらなる風景は
その人のただ一つの人生そのもの

結局私が一番理解できるのは日本の歌で
他の曲はどんなに勉強しても
気付けば日本のメンタリティと日本語の文脈で歌っていたりします

なので無理せず抗わずありのままで
いろんな歌を歌いたいです
そうしたらきっと
どんな歌も
私ならではの歌になるのではないかな

そんな私だけの真実が
他の誰かの真実と共鳴し合えたら
それこそが何よりの喜びです


残る人生
歌い手として私が目指すのは
そんな自然な場所です