要介護認定見直しの時期がやってきました
今日のお話しと歌の動画




昨年の認定からもう一年経つなんて
あっという間です
母は有難いことに
未だ身体介護は不要なので
問題になるのは認知機能です
今回の認定員は
シャキシャキしたおばさまでした
母は教科書通り
こういう時には
何事もなかったように
何事もない人のように
しっかりしたおばあちゃんです
認定員さんからいろんな質問をされますが
それはどれも
うちのこぶたちゃんにはひっかからないものばかり
例えば
新聞の文字が読めますか?
という質問
こぶたちゃんは視野がほとんどありませんが
意図して見ようと思えばちゃんと見えます
50年近く過ごした自宅も
ぜーんぶ見えています
ですが例えば
冷蔵庫に入っているもので
気に入ったものや好きなものはよーく見えるのですが
馴染みのない形状のものや気持ちを惹かれないものは
見えていても正しく認識できません
新しい服も
その時は大喜びしますが
次の瞬間には忘れてしまうので
見えていても
それを自分が着るものとして認識しません
経験で知っているものは
見えていなくても脳が補って
見えているのです(正しく見えているかはわかりませんが
)
お惣菜のパックをあたためて食べるとか
お皿に出すとか
おそらく経験として薄いものは(歳を取ってから獲得した経験や技術?)
思いつかないのか
トリセツのようなものは見(え)ないのです
もしくは興味がないものは見(え)ない
目で見ることと
見たものを脳で処理して判断に繋げることは
必ずしも一致しないように思います
(我が息子は若くてもそうですが
)
誰かがそばにいて世話を焼いていれば
そういう部分は簡単に解決するのでしょうが
私が実家に行ってももはやコブタは
何もしないし文句も言わない
(以前は私が家事をしていると、やる必要ないと怒っていました)
一緒に生活をしたら
もっと何もしなくなるように思います
しっかりしているお年寄りは
とにかくよく動く気がします
おみ足が不自由な方でも
いつも何かしらなさっている印象です
もともとの性質なのでしょうか
でも
ものすごく働き者だったのに
認知症になったという話も聞きます
周囲の者が
何か勝手な理由を付けて病気の原因を判断するのは
無責任だし絶対してはならないとは思いますが
母に関しては
テキトーなところはよりテキトーに
なっていると思います
話を戻します
認知症一人暮らしの高齢者に対して
本当に家族が困ったり心配したりすることの
微妙なラインについては
認定のための検査の判定基準にはありません
全て
できるかできないか
見えるか見えないか
新聞が読めるなら
目は見えるので不自由はない
ことになってしまいます
認定員さんにいろいろとお話しはしましたが
ケアマネさん曰く
要介護から要支援に戻ることも
よくあるらしい
それは困ります
要支援に戻って
デイサービスが週2日しか行けなくなるのは
いろんな意味でよくない
明らかに母の認知症は進んでいます
穏やかで不自由なく暮らしていられるのは
周囲の努力や理解があるからで
その努力も軽々やっているわけではないのに
今この瞬間に困っていないと
困っていると判断してもらえないのって
なんだかなあ
黙って頑張ることがマイナスの結果を生むのって
保育とか他のことにも通じるけれど
結構脱力します
勝手に頑張ってるなら頑張れるなら
自己責任
てことなのかなあ
今回で認定は3回目ですが
いつも
ざわざわした気持ちになります
認定員さんが備考としてどのようにお上に報告してくださるのか
介護割合証が届くまで
落ち着かないです…
今日のお話しと歌の動画
ローレライ↓↓↓↓




今日はこんなに
