ケイマン諸島の歴史 その2 | 世界をまたにかける

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中国で3年。マレーシアで3年生活。イギリスでフランス人の旦那との間に娘を出産。現在ケイマン諸島で暮らしています。

島1900~1970

1920年、多くの教育活動が政府に全地区に学校を建設する動きにつながる。

1937年、初のクルーズ船“アトランティス”がケイマンに寄港。観光業の走りとして、観光案内パンフレット刊行を開始する。しかし、たくさんのホテルがオープンする1950年代までなかなか波に乗らず、1940年代までノースサウンドで運営されていた水上機サービスに代わり、1953年、初の飛行場がグランドケイマンにつくられた。

1953年は他にも二つの理由で意義深い年となった。初の商業銀行(Barclays)の設立と、初の病院(George Town Public Hospital)の設立である。


1959年には、初の成文憲法がつくられ、同年女性の参政権が認められた。さらにケイマン諸島はジャマイカの従属関係を終える。

1962年にはジャマイカの英国からの独立に続いて、ケイマン諸島は英国の直轄植民地として残ることを選択する。


1965年、モスキートリサーチコントロールユニットが運営開始、商工会議所の設立、ケイマン週刊新聞(のちのCayman Compass)が刊行開始。グランドケイマンのロータリークラブが始まる。

1966年には、銀行業界を促進させる画期的な法案が可決する。

1968年、ケイマンエアウェイズが運航開始。

1970年には、403人の訪問者数、人口が10249人にまで達する。

1972年、ケイマン諸島は総務院とガバーナーによって統治されるという内容の新しい憲法が制定される。
同年、ケイマン独自の通貨が流通開始。


1973年バハマが独立し、ケイマンの銀行業が軌道にのる。