広島での被爆体験を元に絵を描こうと何度も思ったが、
犠牲になった友を思うと「どうしても描けなかった」。
15歳で被爆した日本画家・平山郁夫氏は言います。
葛藤の末、絵筆を取ったのは“あの日”から34年後の夏。
そして、その年の秋に「広島生変図」を出品しました。
画面全体には、広島の町を覆う真っ赤な炎。
原爆をテーマにした氏の唯一の絵画で
「生き延びた者たちが生き続ける限り、
友たちもまた生き続ける」との心で描いたといいます。
今春、ある女性が初めて当時の記憶を話してくれました。
焼けただれた人々、おびただしい遺体の山……。
地獄のような光景を目に焼き付けたのは8歳の時。
その後も被爆者だからと結婚に反対され、
偏見にも苦しみました。
それでも周囲の壮絶な苦しみと比べれば
「私は幸運だった。だから語る資格はない」
と口を閉ざしてきました。
だが、考えが変わりました。
語れる人が減っていく今、
「私が語らずして誰が語るのか」と証言してくれました。
一つの絵、一つの言葉に計り知れない思いがあります。
当時を今も口にできない被爆者もいます。
その全ての心を感じ、不戦への志を受け継いでいきたい。
「言葉のちから」を信じて明るく、元気に。
ウキウキ、ワクワク、過去への拘りを捨てましょう。
過去への拘りを捨てて、未来を見つめて前に進みましょう。
そして、新しい自分を発見し、充実の人生を歩みましょう。
大丈夫!大丈夫!


