「サリンジャーを読みふけりゐし時の間を
にはかにふとる棕櫚の花房」
(篠塚純子)
という短歌があります。

 

この詠み手は『ライ麦畑でつかまえて』
夢中だったのだろうか。

 

その間、無数の小花をつけたシュロの花房が
急に大きくなったらしい。

 

実際は、そう感じられるほど、
小説の作品世界に没入した日々を過ごしたのだろう。


 

読書の”時間性”について考えさせられるのは、
読書アドバイザー・児玉ひろ美氏の指摘です。

 

現代を映す言葉として<省略・割愛・2倍速>を挙げ、
「行間を読むとか、

言い回しの機微を味わうなどの余裕が、
どんどん失われていく。
そうしたものはなくてもいいという世の中って、
つまらないと思います」
と。

 

これは過度な時短主義、効率至上主義への
問いでもあります。



 

時間と労力を費やさなければ、
得られないものがあります。

 

読書もその一つでしょう。
 

読書経験は、一歩一歩と山頂を目指す山登りと
似ています。

 

格闘を経て、初めて血肉となるのが良書です。
 

良書を読み込む過程それ自体に意味があります。
 

要約をいくら知っても、豊かな経験にはならないでしょう。

 

読書経験を、知的な成長や人格の成熟を図る
<自己の変革と建設の時間>にすること。

 

それは、 IT時代にこそ必要な人間らしい営み、
価値の創造ではないでしょうか。


 

炎暑の夏。
 

すがすがしく、心豊かに、古典や名著に親しみましょう。

 

 

 

 

 


「言葉のちから」を信じて明るく、元気に。

ウキウキ、ワクワク、過去への拘りを捨てましょう。
過去への拘りを捨てて、未来を見つめて前に進みましょう。

そして、新しい自分を発見し、充実の人生を歩みましょう。
大丈夫!大丈夫!