秋晴れの日曜、歩いていると、道すがら、
庭先の柿の木から実をもぐ父子を見かけました。

 

枝の先に実を1個残して、
父は「はい、おしまい」と収穫を切り上げた。


 

これは「木守柿」という風習。
 

“来年も豊作であるように”
との願いを込めているといいます。
 

鳥へのお裾分けという説もあるようです。
 

いずれにせよ、この行為には「次の生命へつなぐ」
という真心が込められているように思えます。



 

信念、人格共に、いぶし銀の輝きを放ち、
今なお、求道心が旺盛な先輩がいます。

 

懇談中、しばしば問いかけられます。
 

「あれは、どう考えたらいいのだろう?」。
 

問いのテーマは、
昨今の世相をどう解釈するか、
また、大著に書き残した文豪の真意は何か、
など幅広い。


 

経験も教養も豊かな先輩は無論、
自分なりの解答を胸に秘めています。

 

一方、こちらはその日から思索に励む。
 

そして、何とか答えとなる意見を見いだし、
次の語らいに臨む。

 

これは、後輩の成長を願う先輩の“木守柿”なのだろう。

 

ことわざに「桃栗三年柿八年」と。
木が成長し、実を結ぶまでには相応の歳月が要ります。

 

その間、木を育てる側は真心と知恵を尽くす。
 

人材育成にも重なります。

 

 

 

 

 


「言葉のちから」を信じて明るく、元気に。

ウキウキ、ワクワク、過去への拘りを捨てましょう。
過去への拘りを捨てて、未来を見つめて前に進みましょう。

そして、新しい自分を発見し、充実の人生を歩みましょう。
大丈夫!大丈夫!