2月に長女がなぜオペすることになったのか、昨年9月のオペ(胸部にいれたシャント術)から、繋がってくるので、まずは、わたしの投稿の「長女、入院までの経緯」の所をしっかり読んでほしい。

 

 

 

 

読んでからすすんでください。

 

 

シャントといえば腹腔内としか知らなかったから、長女が初めて胸部にシャントを入れると説明うけたときピンとこなくて。デメリットは?と主治医に聞いたらこれといって無いといわれた。

 

 

オペ後、入院中から順調な回復とはいえず、髄液流れすぎ、咳とまらない、バルブ圧いちばん流れにくい2、5に設定しててこれ以上どうにもならない、採血CRP高い、わたしは不安で、不安で、退院してからもずーっと不安が続いた。

 

 

このときも、今も思うに、長期に、長女の体のことを考えてくれたら、産まれてからこれまで腹腔内でうまくいってたんだから嚢胞ができたからって安易に胸に入れず、外科の調整とかドレナージで時間かかってもいいから腹腔内がよかったんではないかと思います。

 

 

 

 

不安で胸のざわつきがなんどき消えなかったこの頃、長女から元主治医のいる病院に電話して話したと聞いた。

 


菌があるうち閉じちゃダメなんだとか、腹腔内に戻した方がいいよね、と言ってたと聞いた。


え、本当なの?、言われた通りに話して、と何度もこのとき聞き返し、後日、わたしも電話をした。そのあと長女と受診した。←昨年中に3回したかな。

 

 

長女の知り合いの水頭症協会会長さんにも相談をした。二分脊椎の会でも胸腔にシャントを入れてる人いないか聞いた。情報はいらず胸のつかえは取れないままだった。

 

 

主治医は「検査して様子みていくしかない」「まだ心配 また来週くるの?そのうち落ち着いてくると思うけど・・」といたって問題ないような対応だった。心配なのは長女とわたしだけでした。

 

 

これまでにない事態、何種類もの薬は出されているものの、ただただ経過を見て待たないとならないなんて。



こんなことが体に起きていたら、長女はわたしより先に(といってと50歳以降くらい)死んでしまうかもしれないとこのとき思った。←まさか29歳の若さとは思いもしなかったけど。

 

 

そして、長女への想いが代わった。それまで、わたしの老いが早いことから、長女の先々を心配しなんとかしなくてはと強く思っていた。



でも、そんなことどうでもよくなり自立とかもう頭から吹っ飛んで、心底、仲良くこれからふたりで暮らしていけばいいと思った。

 

 

11月、大きな保冷剤を脇に抱えた長女とアンパンマンミュージアムやサンリオピューロランドに行った。「次はどこ行きたい?」と聞くと「アンパンマンミュージアム」と言うから、え?行ったばかりだよ、また来年(つまり今年)になったら行こうと言った。


 

ただ、長女と一緒にいて感じたのは、仲良く暮らしてるだけで満たさる子ではないんだということ。長女は、わたしが思うよりずっとしっかり成長していた。第三者との関わりを欲してたし、社会の中でなにかしらに貢献して喜びを感じる子なんだと感じた。

 

 

昨年の9月のオペから弱毒菌、弱毒菌となんども聞いていたわたしは、退院後から、手洗いと歯磨きだけはしてほしくて口煩く言い、長女が反発からしてくれないでいると頭を抱えていた。今思えば、導き方が良くなかったと悔いしかない。

 

 

話しをもどして、、

 

 

年内の通院で、オペからわずか2ヶ月後、今度は胸に嚢胞ができた。

 

 

1月の通院日、主治医自身も、こーいうのあるのは気持ちよくないし、このままにしておくのもあとあとよくない。腹腔内いつがいい?となり、4月18日に決めたのでした。

 

 

ところが、、

 

 

2月21日、わたしが長女をお風呂をいれて出て廊下で拭いてるとき、患部まわり赤く広がってて凄い驚いた。赤みの広がりは時間で落ち着いたけど、胸の患部に管が浮き出てきた。

 

これを見てすぐ元主治医に電話して話したら、早くオペした方がいい、菌があるか調べてとのことだった。オペはそちらでできますか?と聞くと、ここにはわたししかいないからお茶の水の方がたくさん先生いるし・・・とかなんとか言われた。明日金曜日から休日なので、今日いまから見せに行った方がいいか聞いたら、そうだね、早い方ががいいねと言った。

 

 

電話を切ったあと、すぐ主治医にかけた。主治医は「今来てもらってもオペはどのみち来週早くて金曜日(3月1日)まで出来ないから、月曜日の通院日でいいんじゃないか」という。きてみても何もすることがないからと。

 

 

そんでもこれは驚きだから見せておきたいと思い病院に長女と向かった。処置室でみてもらっただけでガーゼつけるとかもなく終わった。主治医からは、電話の話しと同じで「今は何もできないし月曜日に来て入院手続きして一旦帰ってオペ金曜だからその前にくるとか、、」なんとか言っていた。

 

 

わたしから、「もし、月曜日までに皮膚が破けたらどうしたら、、」と聞くと、「やぶけたら腹腔内に入れられない」と言った。



この言葉きいたから、えー腹腔内入れられないならどーなるのって内心ビビって。



だから、この日(金曜)から入院する火曜まで、マンションの上の方にお姫さま抱っこで家の中の車いすに移動させたり、皮膚がひきつらないように気をつけにきをつけていた。



それでも、日曜の夜、今にも皮膚をつきやぶりそうになっているのをみて超ビビった。



救急外来に電話した。来てもなんもできないから月曜に、ガーゼしてすれないようにとだけ言われた←そりゃ行っても仕方ないことくらいわかってるけどビビって電話したわけよ。

 

 

 

2月26日、月曜日、脳外科、小児外科で患部をみせた、この日、部屋があけば入院になったが部屋がなくて翌日入院になった。

 

 

腹腔内は大腸肛門外科の領域のため、初めてこの日外来をうけた。まだ誰が担当チームかも決まってなく、関係ない医師と話したけど、丁寧に話す感じの良い医師でこの人がチームにいたらいいねと診察室をでて長女と話した。

 

 

(ちなみに、今もなお、大腸肛門外科はいったい誰がオペをしたのか、わたしは名前も顔も知らない。何も言われてない。そして、カルテによるとオペ当日、長女が大腸肛門外科が来ないならオペやらないとオペを嫌がってたらしく。看護師、脳外科医に相談と記載されてた。長女も知らないままだったんだね。)

 

 

 

月曜日の通院は1日がかりで、朝から暗くなるまで普段の通院より時間もかかり疲れ切って大変だったけど、明日から長女が入院してしまうと思うと、病院から真っ直ぐ帰らず。



そして、偶然、次女から電話もあったので新宿で降りた。次女は遅いと言って先に食べ終えていたけど、長女の行きつけ、高島屋のオリーブハウスで、3人揃っての最期の晩餐になった。

 

 

午後、待ち時間にヒルトップで食べてたから、お腹すいてなくて、わたしはライス頼まずフライだけ。長女もパスタ半分くらいで止まってたから、無理しないで残していいよと言ってたのに平らげた。

 

このあと、高島屋を出て南口の方のカラ館に寄った。少し長女歌ったけど、排泄が気になり、だからといって、いつものようにカラ館の椅子への乗り移りをさせたら、皮膚がのびて破けてしまうかもしれない。


そうおもうと移動させられず、プッシュアップしてもらい車椅子の上で導尿した。難易度高く、どこが尿道口か見えないまま四苦八苦した。



長女がなんだか具合悪そうで楽しめてない様子から出ることにした。←1時間弱だったかな。なのでカラ館の写真は撮ってない。

 

 

急いで歩いて帰宅したのが23時過ぎ、遅くて悪いと思いつつも、マンションの人を呼んで抱っこでベットにうつしてもらった。

 

 

そこまでして気をつけてきたのに、



オペ当日のメッセージやり取りで、入院したらすぐ浸出液がでて濡れてびしゃびしゃになってることを知った。



1日何回かガーゼを取り替えていた。びっくり驚いて、主治医と電話で話した。「オペして大丈夫なんですか?菌がはいってるからドレナージした方が、、」



「髄液じゃなくて滲出液ね、オペは違うルートに管いれて、胸の方はそのあと抜去するから」と言ってた。



やぶれたら腹腔内入れられないんちゃうの?と思いながら、そうですかと納得するしかなかった。



 

⭐️オペ前日、面会時の写真

 

 

面会は週1、30分のみロビーで可能らしい。ロビーに本人がオペしたあと動けないだろうからオペ前日の面会予約をとった。

 

 

オペするところの印をとっておいてほしいという長女。耳のところ、お腹と胸の写真を撮った。

 

面会のときに、麻酔科の医師から説明うけてわたしがサインした。オペ同意書にもサイン。ただ、オペ後の拘束についてのサインはしなかった。長女が目の前で「ジジと同じにされるよ。ジジと同じになるよ。それでいいの」と言っていた。

 

 

ちなみに、写真は看護師長がくるのを待ってるときに撮った。その経緯は、、、


 

昨年9月の30日間の入院時も長女が言ってたことだけど、入院中、導尿の管を自分では手に取れない棚におかれて自分のしたいタイミングで導尿が出来ない。



今回の入院では、導尿時間3時間おきと決められてて、その前に、お腹がおかしかったり、漏れて濡らした時もあると聞いていた。

 

 

なので、サインのあとわたしから看護師に「3時間おきはいいんですが、それよりも前に、本人がお腹おかしかったりやりたいと言ったときは、水分飲む量も時間で違うし管を渡して導尿させてほしい」と言った。

 

 

すると看護師は「◯◯さんの指示で3時間おきと決めてるので守ってもらわないと」と言った。

 

 

わたし「いや、3時間おきはいいけど、水分とか時間で違うからこの子のタイミングで、3時間より前にやりたいと言ったときは導尿しないと逆流したらその方が体にわるいし、、」

 

 

看護師長「◯◯さんの指示で言われてるので、、」

 

 

わたし「◯◯さん関係ないでしょ」



その繰り返しで話しにならず、「話しにならないから看護師長を呼んでください」と言って、待たされていた。

 

 

2、30分待たされた。その間、長女の写真やビデオも少し撮った。



ビデオでは、オペに対し「ぜったいやらない」とか文句を言っている。



長女の意志を最大限に尊重していたら、こんなことにならなかったよね、みつ(長女)は間違ってなかった。



いつかビデオ音声載せるね。てか、ほんとは公開でいいと思ってるけど、

 


オペ前向きに、、なんてズレたこと言ってたわたし。ほんとごめんね。


いちど笑ってよって言うと、マスク下ろして無理して笑ってくれた。時間もどしてほしい。

 

 

あ、それで話しを戻すと結局、看護師長はこなかった。なんで来ないかの説明もなく。




連れてきたのはリーダ看護師で、また同じく

「◯◯さんの指示なので」と言ってて。



だから、◯◯さん関係ないので。3時間でいいですから、それより前に本人がお腹はってるとかわかるので柔軟な対応をといったら、、

 

 

 

「時間には3時間前でも水分たくさんとることもあるので柔軟に対応してます」みつに向かって、「ほら、こないだも時間より早く一緒にやったじゃない」みたいなこと言いだし、みつが「いつもやってない。そのときの一回だけ」と言った。

 

 

長文になったのでここまでに。