コント・漫才・フリートーク、あらゆる笑いの尺度で測っても、頂点と言えばそれは松本 人志で間違いないだろう。


行雲流水

長きに渡ってトップに立ち続け、笑いのスゴさ・かっこよさを広く世間に知らしめてきた。

視聴者に対する「面白いとはどういうことか」の教育・啓蒙の結果、90年代以降日本の笑いのレベルは確実に上昇した。あわせて、それまで低格に見られていたお笑い芸人という立場も飛躍的に向上したと言えよう。


有形・無形の様々な実績―。

流行り廃りの激しい芸能界において、唯一松っちゃん の地位だけは揺るぎないもの、と思いこんでいるのはボクだけではないはずだ。

ただ、松ちゃん 自身の念頭には常に「凋落の日」のイメージがあったようにも思える。

「ごっつええ感じ」のコント「だんご虫兄弟」では、相方・浜田とともに、キャリアだけを笠に着たやっかいなベテランコンビを演じてみせた。第一線から外れた芸人の悲しさとめんど臭ささを表現した本作は、未来の自分たちの投影と解釈できる。他にも、「頭頭」や「大日本人」にも似たテーマ性がうかがえよう。


それらを見てボクは、「まさかそんな日が」と思っていた。

ダイジョブダイジョブと松ちゃん 以上に松ちゃん盲信していたのだ。


ところが、、、


ところがである。

最近TVで松ちゃんを見ると「…ザワ」っとすることがあるのだ。

奥歯でガリっと砂を噛んだ時のような、胸騒ぎ。


実は、理由ははっきりしている。


「千原ジュニアの存在感」である。


行雲流水

テンポ・間・言葉のチョイス・見立てのうまさ・意外性・切れ味etc.

圧倒的な力の差で勝ち続けてきたフィールドで、しばしば松ちゃんが負けているのだ。

ジュニアに、制されている、御されている、コントロールされている松ちゃんが、そこに映っているのである。(注:すでにネットなどでは話題にされているのだろうか?そういう媒体をボクは一切見ていない。完全に個人的な感想である。)


もちろん、松ちゃんは無様な悪あがきなどしない。

どころか、ジュニアに御されてうつむきがちに笑いながらも、何となく嬉しそうにも見える。


意図して譲っているのであろうか?


もう勝つことに興味がなくなったのだろうか?


栄枯盛衰・盛者必衰の理は、天才・松本人志にあっても抗えない真理ということか。

松ちゃんの巻き返しを見たいようでもあり、見たくないようでもあり…。

引導を渡すのが、ジュニアであってよかったようでもあり、なんでジュニアなんだよって気がするようでもあり…。


ヒーロー松本を想う、複雑なオジサン心。