一週間おきくらいに訪ねてくださるクリスチャンがいますが、
先日はたまたまユーチューブを見ながら眠り込んでいたので気づかず、
ポストに訪問のメッセージを書いたハガキがありました。
そして今日の午後、
再び訪ねてきてくださいました。(感謝🙏)
そして今日も玄関先で申し訳なかったのですが、
教育、宗教、社会問題などについて話が弾み、
家内に声かけられて気づくと約3時間半くらい経っていました。
その方はタブレットPCを手に、
僕の話を聞きながら、
僕の話した内容と同じような言葉をタブレットPCの最初から出して見せてくれました。
聖書を経典とする宗教も多く、
今日訪ねてこられた方も聖書を経典としているので、
霊の話をしましたが死後の世界や霊については理解できなかったようでした。
もう少し詳しく説明しようとしているところで時間も遅く家内が声かけてきたので、
今日は途中で話を終えて続きはまた後日にすることにしました。
もし、
読者の方で聖書をお持ちの方がいらっしゃいましたら、
創世記6:3 に「そこで主は言われた、『私の霊は長く人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう』」。
と書かれてますがどのような意味だかおわかりでしょうか?
じつは私たち人間の身体は、
この世に生きている間は、霊人体と肉身体が重なっているので、
霊人体の存在に関しては確認が難しいでしょう。
しかし、
人はだれもみな等しく、
いずれは肉体が死に霊人体は肉体から離れて、
永遠の世界へと旅立ちます。
最初にある「百二十年」というのは、
私たち人間が完成すれば、120歳〜130さいまで生きて、
本当の老衰による安らかな死を迎えるということです。
多くの人は、
この事の理解が難しいでしょうから今は理解できなくても、
早かれ遅かれ、いずれ死を迎える時に自ら旅立つのでいやでも、信じなくても知る事になります。
生きて死後の世界を知ることも出来るような方法は、
大自然会の中にあることに気づくことですね。
全ての存在には目的があり、
散在するものが何であれ、
必ず目的や役割があるのです。
科学的真理を探求し極めれば朱赤ょうにたどり着き、
宗教的真理を探求し極めれば科学へたどり着くようになっております。
いずれにしても、
最終的には、
全ての人が真理に導かれるようになりますが、
生きて早いうちに導かれる方が、
苦しむ時間も少なくなるでしょう。
今後も皆様の予想もしない出来事が相次いで起きてきますが、
歴史的転換期ですから、あらゆる危機から命を守られますよう願うばかりです。
今日もブログ訪問有り難うございました😊。
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