突然ですが、


皆さんは「宗教」という言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか?


神様や仏様を拝む?


集会では体験談を話す?


宗教では多額の現金が必要?


いや、そうではありません。


また、中には「狐を祀る神社」や「蛇を祀る神社」などといった社を建てて拝む人もいますが、


これらは「偶像崇拝(ぐうぞう・すうはい)」と言って宗教とは言えません。


そもそも「宗教」が何であるのか?


何故宗教信仰するのか?


宗教はいつから始まったのか?


本当に宗教は私たち人間には必要なのか?


宗教を知らない人たちは、これらのような疑問を抱くのは最もでしょうね。


でも皆さん、


お祭りはしますよね、歌は歌いますよね、身近な人が亡くなればお葬式をしたり供養したりしますよね、


また、毎年元旦になると神社などをお参りしますよね、


何か困ったことがあると神社へお参りしたり、神様に祈ったりしますよね、


普段は「宗教など必要無い」とか「私は無信仰だ」などと言っても、所詮何らかの形でお参りしたり祈ったり、


お祭りや歌を歌うなどはしますよね。


中には「宗教は悪だ」と子どもたちに教える日教組の教師もいます。


そういった皆さんには「心」や「精神」というものは無いのでしょうか?


私たち人間は「心と体」が重なって生きています。


体は目に見え触れることも出来るから誰にでも分かりやすいのですが、


心や精神は目に見ることも出来ず触れることも出来ませんが、心は誰にも在るということは皆さんも分かりますよね。


でも、


精神は教育して育てなければ成長しません。


しかし、


体と違って「心」というのはとても複雑に出来ています、


ですから仏教でも神教でも本当の「心」について解いているものはありません。


唯一無二の神様に使わされた人だけが正しく解いています。


その人の名前、呼び名は宗教によって異なります。


しかし、


その人が解かれた真理は1つですから、


世界ではその真理を中心に多くの宗教が集まっています。


ところが、


世界から見て悪い意味で独特な日本社会では宗教を、否定したり悪だと言って攻撃したりします。


なんと愚かなことでしょうね。


私たち人間は生きている間は心と体が一つになっているので気づきませんが、


死を迎えると体は腐って土に帰りますが心はどこへ行くのでしょうね。


そのような死後の世界や神様の存在など、


見ることも触れることも出来ないが存在するものや世界を解き明かして人々に伝え正しく生きるように戻すのが宗教の目的であり役割なのです。


しかし日本の多くの宗教は、


本来の目的や役割を見失い、


ひたすらに経済活動や中には人を拉致監禁するなど犯罪に走る宗教もあります。


とにかくこの話は長くなるので、


今回は結論を書いておきます。


宗教は必要かと問われれば、


私たち人間が完成するまでは必要です。


そのためには、


宗教的真理と科学的真理が頂点で一つにならなければなりません。


しかしそれが今のままでは無理なので、


一旦、世界はほぼ無に帰し再生しなければなりません。


その時に、


この世の全ての悪が消え去り、私たち人間が完成し、新たな歴史が始まります。


現代社会はちょうどその歴史の転換期に入っており、


これを神教では「終末期」と呼び、仏教では「末法の世」と呼ぶのです。


先日久しぶに仏教徒の人が訪ねて来て、


少し話をしましたが、


頂いた新聞や資料には「真理」の一部しか説かれていませんでした、


また、真理の一部を否定する内容でした。


僕には当然のことですが、


その人にはそれが真理だと思いこんでいるようです。


一人でも多くの人が「真理」を知って実践すれば、


世界に蔓延る多くの問題が解決し、


多くの人びとが長年望んでいた「平和世界」の実現が可能になるのですが、


現在(いま)のままではそれは不可能です。


だから、


世界丸ごと大きく変わるのです。


何れにしても、


これからも私たち一人一人が直面する問題やあらゆる危機への備えと対策はしていかなければなりません。


今後も皆様の自由と健康と安全が守られますよう祈念しております。