今朝も夢で目が覚めましたが、
今朝は嬉しい夢でした。
夢の中で僕は、
日田市(大分県日田市)を流れる花月川(かげつがわ)の側にいました。
土手に上がってみると、
川面に近いところに広い鉄板のような橋が掛かっていたので、
橋を渡り土手の上へと登ると街の方を見ていました。
すると突然後ろから、
「みつるー、みつる!」
と、後ろから僕を呼ぶ声が聞こえ、
その声で直ぐに父と分かりました。
振り返るとそこには、
元気な姿の父が僕を見てニコニコしていました。
父は作業服を着ていて背筋も真っ直ぐで若くなっていました。
父は、
学校で土木建築科を卒業しており、
小学校の校長をしていた曽祖父や村役場の役員などをしていた祖父などから、
学校の教師にならないかと言われたそうですがそれを断わり、
建設会社を辞めたあと結婚して僕が生まれた後は開拓団として開拓地へ入ったようです。
その開拓地で僕は小学校卒業まで育てられましたが、
僕がまだ4歳?いや、5歳児の頃かな?
当時開拓地では電気もガスもなく、
風呂を沸かすために僕は風呂のかまどの前に座り薪を入れていました。
するとそこへ仕事を終えた父が帰宅してきましたが、
「お帰りなさい」と言っても返事もなく、
蒼白い顔していつもと違い怖い顔して僕の後ろを通り過ぎると部屋へと入っていきました。
後で母から聞いて分かったのですが、
父は当時、開拓地へ続く道路工事の仕事をしていたそうですが、
その時に使っていた削岩機という機械を扱っている時の事故で両耳が聞こえなくなったそうでした。
その後は耳が聞こえないことや病気などで仕事もうまくいなかったり、
人との会話もうまく出来ないために大変な人生を歩んでいたのを忘れません。
しかし、
それでも父は子どもが好きで、
いろんな遊び道具を作ってくれたり子どもたちにはいつも笑顔で優しい父でした。
その父も、
今から約13年ほど前に入所していた施設で旅立ちました。
ほとんど家にいなかった僕は、
父に何もしてあげられなかった事が唯一の心残りです。
しかし今朝の夢の中では、
川に橋を架ける工事に携わっているようで、
僕が父を見ると父は嬉しそうに仲間のところへ戻って行きました。
それを見て、
霊界では父も元気に過ごしていることが分かり、
今は嬉しい気持ちで一杯です。
皆さんは御存知ないでしょうけど、
生きている時に病気をしていても障害者であっても、
全ての人が死後の世界では元気な元の体、
正常な男性または女性として生きていくのです。
でも、
自殺をした人は、
最も下の地獄で長年苦しむことになりますので、
自ら命を断つ事は絶対にしてはいけません。
たとえ苦しくても、
最後まで人性を全うした人は霊界では元気に、
しかも本当の自分に戻って生きていくのです。
例えばLGBTなどと呼ばれている人たちも、
霊界では本来の姿に戻り男性は男性として、
女性は女性として生きていくようになります。
この事は、
今は信じられないという人が多いでしょうけど、
いずれは皆さんも死後の世界へ旅立つ時が来ますので、
全ての人が、あらゆる事象の真実や事実を知ることになります。
とにかく今朝は、
元気に過している父に会えて嬉しかったです。
死後の世界へ旅立つ時に、
僕のところへ来た人たちもいましたが、
その人達も今頃は死後の世界で元気に過している事でしょう。
現在(いま)を生きている私たちも、
生きている間にすべき事をして、
思いやりの心や為に尽くす生活をして、
少しでも天国に近い霊界へ行けるよう頑張らなければなりませんね。
今はまだ天国はありませんが、
生きている私たちが先に天国(平和世界)を実現しなければ、
死後の世界にも天国は出来ません。
今日も一日、
笑顔で元気に過ごしましょう。