
6月に入り、
既に8日目を迎えておりますが、
日々過ぎるのが速いですね。
ところで皆さんは、
この世に生まれてこの世に生きているのですが、
その目的について考えたことはありますか?
僕は小学生の頃よく、
「自分は何のために生まれてきたのだろう」とか、
「自分の人生の目的は何だろう」などとよく考えたものです。
勿論ですが、
「私は、目的があって自分の意志で生まれてきたんだ」
と言う人は一人もいないはずですよね。
それなのに何故、
「自分は人に迷惑もかけず生きている」と言ったり、
「自分は人に頼らずに生きている」と言う人がいるのでしょうね。
自我が芽生え、自力で行動し、ある程度の知識を身に着けるまで、
全て自分でしてきたのでしょうか?
誰のおかげで今の自分が有り成長できたのでしょうか?
それから、
人は皆仕事をして働いておりますが、
何のために働くのですか?
誰のために働くのですか?
「お金が必要だから働いている」と言う人、
「家族のために働いている」と言う人、
「生きるために働いている」と言う人、
人それぞれに目的を持って働いていることでしょう。
でも、
それが本当に働く理由でしょうか?
それが働く目的でしょうか?
しかしそれだと虚しいですね。
「○○のために働いています」と言うのは、
本来の働き方ではないような気がするのは僕だけでしょうか。
僕は中学生の頃よく、
「何で学校に行かなければならないのか?」とか、
「何のために勉強が必要なのか?」などと考えることがよくありました。
ですから中学校を卒業する時、
担任の先生や親から高校へ進学するように言われましたが、
そもそも「学校の必要性」や「勉強の目的や必要性」に疑問を持っていたので、
高校への進学はしませんでした。
その代わりに何かの資格は持っていたほうが良いかなと思い、
自動車整備士の訓練学校へ進学しましたが、
喧嘩ばかりしていたり弱者をいじめたりする連中が多かったので、
「安心して勉強など出来ない」という理由で辞めました。
もちろん、
学校の先生が2人だったかな? 田舎の我が家までやって来て自主退学を止められましたが、
僕は理由をハッキリと伝えてそのまま辞めることにしました。
その後は持病の喘息も抱えておりましたが、
いろんな仕事を転々としながら自分に合った仕事を探し続けました。
そしてそれが見つかったのは、
僕が28歳の時でした。
すると、
その仕事に就いた途端に、
長年苦しみどこの病院でも、どのような治療でも治らなかった喘息がピタッと治りました。
その仕事というのが、
カウンセラーと塾の講師でした。
毎日が楽しくて楽しくて、
昼間は学校回りやカウンセリングの仕事をしながら夜は塾の仕事、
夕方や日曜日など休みの日や空いてる時にはカウンセリングや生徒の家庭訪問などをしていました。
僕にはこの仕事、
つまり教育の仕事やカウンセリングの仕事が合っていたようで、
これが僕の「天職」だと思っています。
毎日、
子どもや親たちの喜ぶ笑顔や姿を見るのが楽しみでした。
仕事とは本来、
「○○の為」という「奴隷」的なものではなく、
「働く楽しみ」を得られる「趣味」的なものではないでしょうか?
近年はやっと、
そのような人が現れ始めているようですが、
全ての人がそのようになれば、
仕事でストレスを抱えることもなく楽しく働けるようになるのではないでしょうか。
でも、
もう一つ働く上で重要な問題がありますね、
それが「人間関係」です。
少し長くなりましたので、
人間関係についてはまた、
今後少しずつ書いていきたいと思います。
とにかく皆さん、
働くことは大事ですが、
「奴隷労働」から「趣味労働」へと仕事を変えていきましょう。
今後も皆様の自由と健康と安全が守られますよう願っております。