何でもそうであるように、
この世に存在する全てのものは、
見えないものと見えるのが1つになって存在しているのをご存知でしょうか?
このことは、
物理学を専行された人の中にはお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、
これを僕は「1+1=1」というかたちで皆に教えてきました。
① 例えば植物であれば機能と体、
② 動物であれば本能と体、
③ 人間であれば精神体と身体というように。
しかし、
①には、②と③が無くて、
②には①はあるが③が無い、
そして③には①②③の全てがあります。
大学で人間工学などを学ばれた方は、
「人間は小宇宙である」ということを聞かれた方もいるかもしれませんね。
私たち人間には、
宇宙に存在する全てのものが凝縮されて備わっているのです。
ですから、
本来私たち人間は完成すれば、
個人差は多少あるにせよ全ての人が現在(いま)よりもかなり多くの能力を発揮できるということです。
ただそれには、
様々な条件をクリアしなければなりませんけどね。
特に、
人に迷惑をかけたり人を傷つけたり、
ましてや人の物や命を奪えば完全に消滅してしまいますけどね。
大脳生理学では、
現在生きている私たちの中で最も能力を発揮しているひとでも、
本来の能力の40%にも満たない、ましてや僕のように勉強不足だとなおさらのことで、
10%も使っていないでしょうね。
※⬇ところでこの図を覚えていらっしゃいますか?
私たち人間は前述で精神体と身体と書きましたが、
正しくは霊人体(精神体)と身体が1つになって存在しているのです。
この身体は誰にも見えて、
よく食べてよく眠れば必ず成長していきますね。
しかし一方の霊人体は誰にも見えず、
よく食べて眠ったからと言って成長するものではありません。
ですから僕は、
大人でも「5歳児」と言うことがあるのです。
僕が何故大人に対しても5歳児と言うのかは、
5歳児がどのような存在かを知れば分かりますね。
身体は大人でも自我の芽生えた5歳児のように、
自己中心的でわがまま、人のことは考えられず思いやりもないということです。
霊人体が成長した大人は、
人への思いやりがあり、
誰とでも別け隔てなく接することができて、
為に尽くす生活が出来るようになります。
僕がこのブログの過去の記事で、
「この中津市へ来て、三度、中間の立場に立った」
と書いたことがありましたが、
この中間とは何でしたか?
ここで言う中間とは、
対立する2極、
例えば善と悪、民主主義と共産主義、警察と反社会勢力集団などのように、
真っ向から対立する両極のことです。
差別やいじめを無くしあらゆる問題を解決するには、
この中間のそれも高い位置に立たなければなりません。
それが出来るようになれば、
あらゆる問題や危機から解放されるでしょう。
今後も皆様の自由と健康と安全が守られますよう願っております。