今日の夕方のテレビニュースで、


学校教育の教科書検定で多くの表記ミスが見つかったということで、確かにそれも重用な問題ですね。


でもそれ以上に問題なのは、


日本の学校教育において、


宗教教育を行わないのは勿論ですが道徳教育も行わない、


しかも歴史教育にも作り話が多かったり問題は多いものですよ。


その結果、


自己中心でわがまま、


自我の芽生えで成長がストップしたような大人が多く育つのでしょうね。


実は今日のニュース記事の中に次のようなものもありました。


※⬇このニュースサイトへはこちらから。 


このニュースにもおかしなところが多くありますが、


読まれた方はおかしなところにお気づきでしょうか?


「宗教と宗教団体は違う」


ということも書かれておりますが、


おかしな解釈ですね。


僕に言わせれば、


「教育と学校は違う」と言ってるようなものですよね。


少ない教師(または指導者)で多くの人を教育するために、


学校という集団教育の場があるように、


少ない牧師(ままは指導者)が多くの人に同じ教えを伝える場が宗教団体という組織になるのと同じではないでしょうか?


しかも、


宗教そのものを理解できていないために宗教に対する間違った教えを説いているようなものですね。


本来なら私たち人間が完成すれば、


「宗教」というものは不要なものですが、


まだまだ私たち人間が未完成のために今ではまだまだ全ての人に宗教は必要なのです。


それに、


「文化」というのは、


親から子へ引き継がれていくものですから、


「自我の芽生えから宗教団体へ子どもを連れて行ってはいけない」???


などというのもおかしな考えですね。


ましてや、


宗教は「人を幸せにする」というのが根底にあるので、


正しい宗教団体であれば飲酒や喫煙など健康を害したり問題の原因となるものを禁止するのは当然でしょう。


「私は無宗教です」


などと言う国は日本くらいではないでしょうか。


僕は宗教を否定する人を信用しませんが、


それが何故かお分かりでしょうか?


世の中には目に見えず触れることも出来ないが「無形」として存在するものと、


目に見えて触れることのでき確認できる「有形」として存在するものとがありますね。


例えば皆さんは、


人に冷たく無慈悲な人に対して「あの人は心無い人だな」と言うこともあるかと思いますが、


その「心」には形もなく見ることも触れることも出来ない「無形」ですが誰もが人間であれば「心」の存在を信じますよね。


それはなぜですか?


この記事中に貼り付けたリンクのニュースに書いてありますが、


宗教と宗教団体の違いでは他にもおかしなところがありますね。


このような日本は、


この先も崩壊の道を進みますが、


私たちもいずれは必ず死を迎えます。


その死後の事は正しい宗教団体でしか学ぶことは出来ません、


それに信じる信じ無いに関わらず全ての人は死後の世界へ行くのですが、


その時に全ての人が真実を知ることになります。


死後の世界へ行ってから真実を知っても、


手遅れのこともありますよね。


ですから、


生きている間に全ての真実を知ることの出来る場所が、


今のところ「宗教団体」にしかないということです。


日本には昔から、


「バカは死ななきゃ治らない」


という言葉があるようですが、


多くの人はまさに死んで初めて無知を克服することになりますね。


どのような病気の人でも障害者(LGBT者含む)の人でも、


全ての人の病気や障害は死後には無くなり正常で健康な姿になりますが、


重要なことは生きている間にどれだけ人のために尽くし、


どれだけ真面目に正しく生きたかということです。


人を傷つけ、


ましてや人の命を奪うなど、


罪を重ねれば重ねるほど地獄で苦しむことになりますが、


自殺も殺人ですから罪は重く地獄で長年苦しむことになりますので絶対にしてはいけませんね。


少し長くなりましたが、


宗教と宗教団体を切り離して考えるのは愚かであり、


宗教を否定するのも愚かな事です。


ましてや北九州市などのように、


市議会で特定の宗教と関わるなと言うのも問題ですが、


それほど愚かな人たちが議員としていることも問題ですよ。


北九州市など、


このようなことをしている地方自治体があれば、


統一地方選でも有権者はもっと賢くならなければ行けませんね。


少しでも多くの人の、


自由と健康と安全が守られますよう願うばかりです。