先日の元F1ドライバーに続いて今日は、


もう一人のF1ドライバーの話です。



ある日、


久しぶりにオートポリスへ行くとスタッフから、


「ネルソン・ピケ選手が先程帰ったばかりですよ」


と言うのでガッカリ、オートポリスを後にして仕事へ向かうことにしました。


オートポリスを出て上津江村の山道を走っているとき、


ネルソン・ピケにどうしても会いたいという気持ちが高まり、


もしかしたら会えるかもと思うと、オートポリスへ引き返すことにしました。


そしてオートポリスの敷地にあるホテル(現在は取り壊されてありません)の玄関前に車を停めると、


車を降りて玄関のドアを開けました。


すると中からスタッフの男性が出てきたのでネルソン・ピケ選手に会いたいと伝えると、


「そうですか、たまたま迎えのヘリが遅れていて待っているところです。チョット待ってください」


と言って一旦中へ入っていきました。


やがて戻って来たスタッフから、


「中に居るので入ってきてください」


と言うので後について中へ入るとロビーにネルソン・ピケ選手やオートポリス創立者の鶴巻社長と副社長など数名がいました。


スタッフが用意してくださったネルソン・ピケの隣の椅子に座ると何故か皆からの視線が僕に・・・・


何だか恥ずかしくなりましたが、


たまたま持っていた写真を出してネルソン・ピケにサインを求めると快くサインをしてくれました。


※⬇これがその時のサインしてもらった写真です。写真右上


これはオートポリスオープンの日にオートポリスからもらった宣伝用の写真ですが、

たまたまこれを持っていたのでサインしてもらいました。

すると社長が、

「色紙がまだあっただろう」

とスタッフに指示するとスタッフが色紙を出してそれにネルソン・ピケ氏がサインしてくださいました。

※⬇これがその色紙を持った僕とピケのTwo Shotです。


この日迎えのヘリが遅れてなかったら、

僕がインスピレーションを感じて戻らなかったら、

ネルソン・ピケには会えなかったでしょう。

しかし、

ネルソン・ピケと会えたのはこれが最後でした。

後日、アメリカのインディ500レースの公開練習中の事故で両足にダメージを受けレーシングドライバーとしての人生最後になったとのことでした。

※⬇これがその時のニュース記事です。

この事故から数日が過ぎたある日、


仕事で福岡へ向かっているとオートポリスのスタッフから電話があり、


「ネルソン・ピケがいま、車椅子でオートポリスに来ているけどこちらへ来れますか」


と言ってきました。


ネルソン・ピケ氏には一度会って、


事故の事を御詫びしたいと思う気もちはありましたが、


既に福岡県内を移動中でしたので、


「申し訳ありませんが、今日は行けません」


と言って電話を切りました。


その後もネルソン・ピケ氏に会うことはありませんが、


ネルソン・ピケ氏は元々会社経営をされていましたので、


今でもお元気でお仕事されているのではと思いますが、


これからもお元気でお過ごしされますよう願っております。