今日も一日、


様々な出来事がありましたが、


一日を無事に過ごせたことに感謝です。


ところで皆さんは、


現代社会に存在するあらゆる問題のうち、


どれだけの問題に気づいていますか?


どれだけの問題であれば解決できますか?


解決すべき問題のうちどれだけ解決できますか?


◆解決すべき問題からいくつか挙げれば、


(1)人生、宇宙、歴史、公害、食糧、人種差別、国境、 宗教、思想(哲学、民主・共産)、闘争(戦争)、 学校教育、労使、家庭破壊(離婚、不倫)、 青少年淪落、AIDS問題 (指導者(政治家)がその場凌ぎ⇒根本解決不可)


一部を挙げてもこれだけありますが、


まだまだ他にも沢山あります。


それぞれの専門家がいるのに、


何故、未だに解決出来ないのでしょうね?


一つには、


ロシアのプーチン大統領みたいに、


表向きには口では良いことを言いながら、


その裏では逆の事をしている人が多ことがあります。


子育てや教育でも、


知育ばかりに偏り実技及び実践教育が成されていないからです。


他にも多くの原因があります。


車が壊れたとかスマホが使えないなどの物理的な問題は、


それぞれの専門家が直したり解決できますが、


人種差別やいじめをはじめ、


人の犯す犯罪の多くは厳罰化では解決できないことも知らなければなりません。


それらの物理的には解決が出来ない問題を解決すべきものが、


宗教なのですが、


宗教信仰者に限らず全ての人が本来の「宗教」の目的や役割を知らないのが問題です。


宗教学者の大学教授でも、


宗教の本質的な目的や役割については理解できていないことが問題です。


現在の大学は、


未来の小学校レベルですから、


今の大学教授にいきなり問題解決の方法はなどと訪ねても正解は出ないでしょう。


机上の空論や口先では、


何事も解決出来ないのです。


以前にも書きましたが、


むかしある小学校を訪問したとき、


校長先生から言われたのが、


「あなたの話は、大学教授と同じようなことですが、あなたは実践されているだけにわかりやすく実用的で、大学教授の話よりも伝わりやすい」


ということでしたが、


僕もそれは感じております。


生徒の問題を解決したとき、


学校の教師から訪ねられるのが、


「どのようにして解決したのですか?」


という言葉です。


しかし、


その方法を教えても理解できないでしょうし、


それ以上に実践できないでしょう。


何事も、


否定からは新たな解決策は生じません。


「過去に事例が無いから」


と言って協力を得られないこともありますが、


過去に事例がなければ新たに事例を作ればよいのです。


例えば僕のしてきたことでは、


塾の講師なのに家庭訪問や塾での父母会を開くとか、


塾の講師なのに学校教師の研修会に参加するとか、


学校行事への積極的な参加など多くの事例の無いことをしてきました。


その結果、


子どもたちや学校の様子、


教師の実態などあらゆ問題が見えてきたと同時に、


問題解決の方法も見つけることが出来ました。


また、


「戦争は絶対にしてはいけない」


と、いくら説明してもそれだけでは意味がありません。


とにかく何事も、


憶測や口先だけでは解決など出来ないのが実情です。


私たち人間は、


本来素晴らしい能力、


スーパーコンピューター以上の能力を持っているのですが、


実際に使われているのは最大でも30%もないくらいでしょう。


全ての人が、


まだまだ素晴らしい可能性を持っているのですが、


否定からは何も生まれません。


先ずは「真理」や「原理」を知ることから始めなければなりませんね。


今後は1つでも多くの問題が、


口先ではなく実践で解決していけるようになることを願っております。


今日もブログ訪問有り難うございました。