先程もテレビで放送されていましたが、
学校でまた男性教師がボウルを生徒の顔面へ投げつけるという事件が発生したとのことですね。
何故、
学校教育の問題は無くならないのか?
教師は生徒への校則を厳しく設定するが、
それを行う教師に問題が多いのも事実です。
以前にも書きましたが、
むかしとある高校を訪問した際に、
女子生徒の制服でスカートの丈が短過ぎることを学校に訪ねたことがありましたが、
既にこの時点で学校の問題が見えてくるのです。
皆さんはお気づきでしょうか?
更にその後に来た男子生徒は、
シャツをズボンの中に入れずだらしなく外へ出していました。
服装の乱れですね。
ここまで書けば何が問題なのか少しは見えてきたでしょうか?
僕も長年塾講師として、
またカウンセラーとしても多くの学校や教師、生徒を見てきました。
服装の乱れは、
その本人の学力だけでなくいろんな問題が見えてくるものです。
更に15分ほど話せば更に詳しく見えてきます。
僕は生徒を指導するとき、
心と体の問題についても指導しておりました。
生徒の中には、
個人差はあるものの服装を正すだけでも成績や勉強への姿勢などが変わります。
学校を訪問すると「豊かな心を育む」とか、
「思いやりの心を育てる」などといった言葉を掲げているのもよく見かけました。
しかし、
指導する教師が「心」のことをどれだけ知っているのか?
指導する教師がどれだけそのことを実践できているのか?
疑問ばかりが残ります。
口先では良いことを言っても、
本心は態度などに現れるので教師の資質は見え見えです。
じつはいま読んでいるこの本、
「文鮮明先生の教育哲学」という書籍ですが、
この本は、
教育関連の仕事やカウンセリングなどを辞めたあとに購入しておりましたが、
改めて読んでみると、
僕が塾などで実践していた指導のようなことも多く書かれていますので、
この本を読んでいると、
自分の教育指導は間違ってなかったんだということも改めて感じています。
僕がまだ塾講師として、カウンセラーとして、教育問題研究科として現役時代にこの本を手にしていたら、
学校教師や塾、家庭教師への説明がもっと伝わりやすく話せていたことでしょう。
私たち人間は、
心と体という二重構造から成っておりますが、
どちらが主体でしょうか?
勿論、
心が主体ですよね。
ですから教育も、
「心」の問題が重要なのですが、
それが出来ていないから未だに教育問題が解決できないのです。
このブログでいつも書いている「思いやりの心」が何故重要なのかが、
少しは御理解いただけたでしょうか。
心の教育は、
知識で言葉で教えるものではありません、
教師自らが実勢しなければ子どもたちには伝わりません。
僕はよく教え子たちを、
山などへ連れていきました。
山など自然の中へ連れて行くと、
子どもの学力や問題点などが見えてくるからです。
自然界に興味を示してきますし、
そのような子ほど学力も心も豊かになります。
机上の知識だけが勉強であり教育だと考えている人は、
まだまだ勉強不足ですからもっともっと学びが必要ですね。
机上の空論を述べる大学の教授みたいになってはいけません。
(もちろん、全ての教授ではありませんが)
花を見て「この花綺麗だね」とか、
山並みを見て「山並みを見てると気持ちいいですね」などと言うことが出来る子を育てよう。
このようなことを知らずして、
「豊かな心を育てる」などと言っても、
それは不可能です。
最近また、
なんだかんだと事件や問題を起こす教師がニュースに登場しますが、
これでは少子化でも対応できませんね。
一人でも多くの子どもたちが救われることを願っております。