今から27年前、


つまり1995年の1月の出来事です。


1月6日の夜、


当時福岡県のとある塾に勤務していた僕は、


冬期講座に入っていました。


そしてこの日の夜は、


中学2年生の授業中でしたが、


授業を始めて間も無くの事でした。


突然頭の中に巨大地震の映像が浮かんだので、


つい、生徒たちに、


「おおーっ! もうすぐ巨大地震がおこるなぁー!」


と言ってしまいました。


すると当然ですが生徒たちは、


「先生、それはいつですか?」


「どこで、地震が起こるんですか?」


などと聞いてきました。


そのとき僕は、


「いつだろうね、ハッキリしたことは分からないが、近いうちに東京より九州に近いところかな?」


と、話していると、


「先生、どこが安全ですか?」


などと聞いてきました。


それで、


「世界中どこにも、『ここは安全だ』などと言えるところは無い」


と言って更に、


「どこにも、安全な所はないが、何が起きても守られる方法はある。それは、人のために生きること・・・(等々)」


という話をしたのを忘れません。


そしてその翌日の朝、


仕事へ出ようと車にのって走り出すと、


自宅から数百メートル辺りのところで、


突然目の前が暗くなってきたので、


慌てて引き返し駐車場に車を止めると、


フラフラしながら自宅へ戻り自ら救急車を呼びました。


やがて救急車のサイレンの音が聞こえたので外へ出ると、


救急車の回りには近所の人たちが集まっており、


担架に横たわる僕のところへ隣の友人が来たので、


「申し訳ないけど、病院へ車を持ってきて欲しい」


と言って車の鍵を渡しました。


そして気づくと病院の医師たちの話し声が聞こえました。


口には酸素マスクがつけられていましたが目の前にいた先生に、


「有り難うございました。もう、大丈夫です、帰ります」


と言って起き上がろうとしたが、


「あと5分来るのが遅れていたら死んでたよ。しばらく入院が必要だ」


と言われると酸素マスクを着けてそのまま病室へ運ばれました。


その後の1月17日の朝、


病院のベッドで目を覚ましテレビを点けると、


画面に映し出されたのは建物などの崩壊した瓦礫の山でした。


一瞬何事かと思っていましたが、


見ているうちにその全貌が明かになり、


子どもたちに話した巨大地震が現実に起きたことを知りました。


巨大地震といえばもうひとつ、


東日本大震災、


こちらを予測したのは2009年10月のはじめくらいだったと思います。


このように私たち人間にも、


巨大地震をはじめ、


先に起こる大災害などを予測することはある程度出来ます。


しかし、


その事が起こる日時や場所などは特定出来ないことも知りました。


今後もあらゆる危機が迫って来ておりますので、


そのような危機から命を守る生活へと、


意識や行動を変えていくとが一番の災害対策となることでしょう。


今後も皆様の健康と安全を願っております。