前回は不登校についてお話ししましたが、
今回は学校の必要性について考えてみたいと思います。
僕も小学校、中学校の頃には、
「何故、勉強しなければならないのか?」
「何故、学校へ行かなければならないのか?」
などといった疑問を抱えていました。
しかし、
東京で幼児教育関連の仕事に携わるようになって、
初めて家庭教育や学校教育の必要性、重要性などに気づかされました。
そもそも学校が、
単に教科指導の為だけなら、
問題の多い学校など廃止にして、
教科指導のベテランが揃っている塾や家庭教師で済むのではないでしょうか。
僕はよく、
子どもたちの問題の原因として、
家庭➡️第一原因、学校➡️第二原因として説明しております。
それは次のような理由からです。
母子健康手帳に付記されている「児童憲章」は全国共通です。
そしてこの児童憲章を基に家庭教育や学校教育は行われなければなりません。
児童憲章の第二項目に書かれている、
2:すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ・・・
とあります。
愛情=徳育、知識=知育、技術=体育
※⬇️図にしてみました。
家庭では学校と違い、
「徳育」、つまり愛情に重点が置かれながら知育等も行われるのですが、
家庭での知育とは、
学校で教えるような教科について教えるのではなく、
社会的規範、最低限必要なルールやマナー等を教えることでしょう。
また学校では「知育」に重点が置かれますが、
「徳育」や「体育」も平行して教えなければなりません。
ところが、
学校の教師で学校教育を勘違いしている者も多くいることが分かりました。
今から20年以上前のことですが、
塾で教えていたある小学生のお母さんから、
「学校の担任の先生が、先生(僕に)の話をお聞きしたいと言っておりますが、一緒に学校へ行っていただけますか?」
というような話がありました。
それで生徒とお母さんに同行して学校を訪ねると、
担任の先生(男性教師)に案内されたのは校長室でした。
広い校長室では、
自分の机に座り作業中の校長先生はほかに、
少し離れた位置にある大きなテーブルには男女数名、4~5名だったかな?
「私たちもお話聞きたいので」
と言って座られていました。
子どもとお母さんと僕は先生方と向かい合って座りました。
やがて生徒の担任の先生が僕に質問を始めました。
しばらく話が進んだところで僕が、
「学校って何のためにあるのでしょうか?」
と、担任の先生に訪ねると、
「学校は勉強を教えるところであり、その為に私たちは努力しております」
と回答されましたが、
僕がその一言に呆れていると、
少し離れたところにいた校長先生が突然大声で担任の先生に向かって、
「何を言ってるんだ。学校は勉強を教えるだけではないだろ・・・」
と、言われたので担任の先生は勿論、他の先生方も驚いていたようです。
でも僕は心の中で、
「良かった、校長先生はまともなようだ」
と、変な安堵感にホットしました。
ところが他の学校では、
「プロの教師たちが指導しているから、この学校では何も問題ありませんよ」
と、僕に問題を見透かされていることも知らずに豪語する校長先生もいました。(笑)
少し話が長くなっておりますが、
とにかく学校とは勉強(教科指導)だけを行うところではないということです。
ただここでもうひとつ疑問があるのですが、
皆さんはお気づきでしょうか?
「学校では勉強を教えるプロの教師がいるから」
と豪語する校長先生の話ですが、
プロの教師の割には、義務教育でありながらも、
約8時割りの児童・生徒が授業についていってないという現実があることです。
本来であれば、
8割り以上の生徒が指導の8割り以上の内容を理解できていなければ義務教育とは言い難いのです。
学校教育における知育だけでも問題ですが、
まだまだ他にも問題は山積しております。
長くなりましたのでここで今回は終わりにしますが、
学校教育の必要性や重要性、及び様々な問題について今後もお話ししたいと思います。