僕は昔から、
「男性だから」とか「女性だから」などと言うのが嫌いだから、
「男女平等」ということにも疑問を持っています。
しかし、
男性と女性の存在目的や役割は理解しているので、
その点での区別はつけます。
塾の講師をしていた頃にも、
「本当の平等とは」ということを子どもたちに教えてきましたが、本来は家庭や学校で正しく教えるべきではないでしょうか?
世間で言われている「男女平等」にはどうしても理解できないところも多々あります。
そもそも、
何故、世の中には男性と女性が存在するのか、
その、根本的存在目的や意義、価値観などを知らなければ、
本当の平等など理解できないのではないでしょうか?
自分を知り、
人を知れば、
そのようなこと、つまり差別など無くなるのではないでしょうか。
僕自身、
「差別」という言葉が大嫌いです。
そもそも「心」に壁を作っているから、
差別が生じてくるのではないでしょうか。
今回何故、
このようなことを書いたのか、
テレビのニュースで、東京大学の入学式での女性の祝辞を見たからです。
僕も東京大学の今回の祝辞を聞いて、
とても素晴らしい祝辞だと思いますが、
このような祝辞が述べられる世の中がおかしいのだと思いますね。
昔からよく、
「男の子だから男らしく」とか、
「女の子だから女らしく」など、
よく聞いてきました。
この言葉を嫌がる人もいるでしょうけど、
僕はこの言葉には使い方によって大きく違ってくるのではと思いますね。
昔塾で、
目の前のソファーに座っていた制服姿の中学生の女の子に、
「下着が見えてるから足を閉じなさい」
と、注意したことがあります。
でも、その時女の子から、
「いいじゃん、パンツ履いてるから」
と言われました。
それで僕は、
「人の前、しかも、男性もいれば尚更、スカートの時には足を閉じて女の子らしくしなさい」
と言ったことがあります。
このように、
スカートを履いた女の子が、
目の前で足を開いて下着丸出しで座っていたら、
あなたは、どのように対応しますか?
また、
塾で中学生の授業中にある女の子が、
足を開いて机に座っていたので足を閉じるように指導すると、
その子はそれから成績も上がり始めました。
一クラス僅か40人くらいだと、
一人一人に目が行き届くので、
いろんなことに気づきます。
いや、気づかなければ、
キチンとした指導は出来ませんよね。
話が少し逸れましたが、
本当の男女平等というのは、
両者が全く同じことをするとか出来るというものではありませんが、
その事はお分かり頂けますよね。
その事が分からない人ほど、
「差別意識」が強いのではないでしょうか。
以前にある人から、
「あだちさんは、どんな人とでも話されますね」
と、言われたことがあります。
また、別のある人からは、
「私も、あだちさんのようになりたい」
と、言われたことがあります。
それは、
全ての人に同じように接するからです。
ここでいう「同じように」とは、
相手に合わせて接するからです。
人は皆、
短所、長所の両面があり、
更に、以前にもお話ししたように4つの側面を持っているから、
自分の目線ではなく、必ず相手に合わせて接する事が大切だと思っています。
カウンセラーであれば、
当然のことですよね。
でも、このようなことは、全ての人にも大切なことです。
更に、
自分の心に壁を作らないことですね。
例えば、
救世主とかメシヤなどと呼ばれる人の心に壁があったり、
人を差別するような意識があったら、
全人類を救済することなどとても出来ません。
このように言ったら、
「メシヤだから出来る。我々一般人にはむりだ」
と、考えている人が、もしいるなら、
その人は既に心に壁があるということなので、その考えは捨てた方が良いですね。
但し、
唯一一つだけ、
メシヤにしか出来ないことがあります。
それは、
私たち人類の原罪を解き放す事が出来るのはメシヤのみだからです。
少し話が長くなりました、いや、
短すぎてうまく書けなかったかな?
たんに「差別」と、一言で言っても、
世間には「性差別」、「能力差別」、「成績差別」、「学歴差別」などなど多くの差別があります。
それら全ての差別が、
一日も早くこの世から消え去ることを願っております。
最後にもう一度繰り返しますが、
全ての差別を無くすには、
人を知り、人を理解し、相手を思いやるなど、
「自己中心の思いや目線」を無くし、心の壁を崩していくことではないでしょうか。
心の壁が無くなれば、
一段と幸せへと近づくことが出来ます。
長くなりましたが、
最後まで読んでくださった方に感謝申し上げます。
有り難う御座いました。(^人^)
