先ほど掃除を終えてふと、棚の上を見たらこんなのがありました。
映画と言えば、
いろんな事を思い出します。
例えば、
僕が生まれて初めて見た映画は、
小林旭さん主演の渡り鳥シリーズでした。
このころ僕は、
4歳か、5歳くらいではなかったかと思います。
叔母さんに連れられて、
当時熊本にいたお祖母さんの所へ遊びに行ったときでした。
3人で見たのがこの映画だったのですが、
映画の中で小林旭さんが乗った馬車がこちらへ向かって走ってくるシーンで、
「お祖母ちゃん、早く逃げないと危ないよ」
と、泣きながら叫んだとき、周りにいた人たちから笑われ、
「ここは大丈夫よ、こっちには来んとよ」
と、恥ずかしそうに小さな声で叔母さんが隣から言ってきたのを忘れません。
その後も、
熊本県菊池市で、
両親に連れられてよく、高倉健さんなどの任侠伝の映画を見たのも忘れません。
そして二十歳の頃、
間違って訪問した芸能プロダクションで誘われて芸能界に入り、
そこにいた先輩俳優のSさんから、
「おまえこの映画に出てみないか」
と、渡されたのが、
高倉健さん主演、薬師丸ひろ子さんデビュー作となったKADOKAWA映画の、
「野生の証明」
でした。
ですが勿論、映画が完成するまで、
主演者やキャストなど、映画のことは全く知りませんでした。
その後も、松竹映画のプロデューサーさんから、
沢山の映画の話と台本を頂きましたが、結局全てお断りして出ませんでした。
当時御世話になった芸能及び映画関係者の皆さま方には、
本当に御世話になりました、またご迷惑もおかけしました。
結局僕が出たのは、
お昼の情報番組やニュースなど、一部のテレビ番組のみでした。
僕にとってはやはり、
芸能界よりも、教育の世界でした。
これも、教育者や政治家などの先祖たちの血を受け継いだのでしょうかね。