いつも通るテニスコートの金網に、


このようなものが掛けてありました。

 「身も独立し、家も独立し、天下国家も独立すべし」(福沢諭吉の学問のすすめ)

という内容です。(日本崩壊を目指す人が強調する言葉ですね)

これは、

人により受け取り方も其々かと思いますが、

僕にはどうも気になりましたので、僕なりの考えを書きたいと思います。

一言に、「独立」と言えば、

一見するとなかなかよい言葉のように取れますね。

ところがよく考えると、

「独立」には、ある意味 「壁」を作ります。

例えば最初の、「身も独立し」とは個人的に独り立ちを意味しているのでしょうが、

1つ間違えれば、協調性を失った 「個人主義」にも成りかねません。

次の、「家も独立し」についても、

1950年(昭和25年)に住宅金融公庫発足、翌年の1951年(昭和26年)には公営住宅法が制定され、

1997年12月 講談社発行の 「日録 20世紀」(下の写真)によれば、

1956年(昭和31年)には、更に設備の整った公団住宅の建設により、

 「『団地族』が誕生!」という見出しがあるように、

この頃から「核家族化」の加速に拍車がかかったのではないでしょうか。

そして更に三行目の「天下国家も独立すべし」については、

アメリカのトランプ大頭領から始まった、「国境への壁造り」のように各国が再び閉鎖的になる。

本来なら、

個人、家族、地域、国家、世界に至るまでの全ての壁を取り払えば、

孤立も無縁も無くなり、全ての人々が仲良くなれるのです。

ですからそういう意味でも、

「独立」ではなく、「自立」でなければならないと思いますね。

「自立」であれば、

自己完成(責任と義務を果す成人)を目指しながらも周りの人たちとの協調性を重んじる。

個人、家族、国家における「独立」に関する問題についてはまた、個別に書く予定にしております。

※⬇参考;1997年講談社発行の「日録 20世紀」より。