1990年、

僕の故郷にオープンした国際レーシングサーキット場のオートポリス。

そのオートポリスをきっかけに知ることになったモータースポーツ、

そのモータースポーツの最頂点にあるのが F-1(エフ・ワン)レースです。

その F-1レースのドライバーとの出会いが、

僕の走りに火をつけました。

また、

当時お世話になったのが、

当時オートポリスもスポンサーをつとめていたベネトン F-1 チームでした。

しかし、

当時のF-1レースで活躍していたのが、ブラジル出身のアイルトン・セナでした。

またその頃は、フジテレビ系で深夜にFー1レースの放送をしていたので、

毎回レースの時には観ていましたが、Fー1レーサー含む3人のドライバーが、

僕と出会った後に事故でレーシングドライバー人生を終えたことや、僕自身もドクターストップがかかるなどして、Fー1レースのテレビ中継もいつしか観なくなっていました。

ところが、

1994年5月1日(日)の夜、

何だか分からないが、胸騒ぎがして、とても気になってテレビをつけると、

本来ならFー1レースが始まっているはずなのに、様子がおかしい。

何があったのかと観ていると、イモラサーキットで、セナがクラッシュしたという。

しかも、フジテレビの解説者が涙!?

その後何度も事故の様子が繰り返し放送され、ようやく事態が呑み込めました。

これがアイルトン・セナの最後の瞬間でしたが、もしかしたら何者かが僕にこの事を知らせてきたのでしょう。

写真は1988年にアイルトン・セナが乗っていた、

マクラーレン・ホンダのFー1カーのダイキャストです。

この車を見ると、

ベネトンのネルソン・ピケをはじめ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト等と競うセナの顔が甦ってきます。

アイルトン・セナの葬儀はブラジルの国葬で、

その様子は世界中へと中継放送され、Fー1を知らない人にまで知られるようになりました。

音速の貴公子と呼ばれていたアイルトン・セナは、

世界中の多くの人々の心のなかで、今も永遠に生き続けている事でしょう。