これまでにも何度か書きましたが、

世の中には「自由」と「我が儘」を勘違いしている人が多いのですが、

それはやはり、「子育て」や「教育」の問題ではないでしょうか。

幼児期の子育てから小学校での教育の段階で、

子どもには、「自由」と「我が儘」の違いや、「真の自由」について教えなければならないのですが、

その事を知らなければ教えられないでしょうね。

「自由ってどんなこと? 自由って何?」と、

子どもたち訪ねると、

ほとんどの子どもたちは、

「自分の好きなことをする事」、「好きなときに好きなことをする事」、「自分の寝たいときに寝て、起きたいときに起きる」・・・

等々という回答が圧倒的に多いです。

しかしよくよく考えれば、

これらはある意味、「我が儘」の方が強いですね。

これは余談ですが、

昨夜のニュースで、今村大臣が記者の質問に対して激高するという場面がありましたが、

第三者の僕から見れば、どっちもどっち、五分五分という感じですね。

記者は「言論の自由」や「知る権利」という言葉を振りかざして刑事並みの追求をしていきます。
(時としてマスコミは、日本をスパイ天国にしかねないし、危険にさらすことになります)

一方会見に望む側は、記者の誘導に乗っては行けませんね、怒ればマスコミの狙い通りになってしまいます。

ここでマスコミは、

「言論の自由」の自由について、また、「知る権利」の権利について、どこまで責任を持てるのでしょうね。

マスコミも国会議員もどちらも国民に対しての「責任」と「義務」を果たさなければなりません。

ということで話を戻しますが、

では、

「自由」と「我が儘」はどのような違いがあるのでしょうね。

先ず、「我が儘」とは、TPO(時と場所と場合)や対象者の事など考えず、また、他人への迷惑など省みず、自分の思ったことを押し通し実行することでしょうね。そこには、TPOや対象者への思いやりや考えはなく自己中心でルールも責任も無いのです。

これに対して「真の自由」とは、

TPOや対象者の事を考え、ルールやマナーを考えながら自分の思ったこと、したい事を行うことです。

「真の自由」を知って実践することは、人間社会でトラブルなく生活していくには必ず知らなければなりません。

それで僕はこの事をよく、子どもたちに教えていました。

もう一度整理すると、

我が儘は、自己中心でルールもマナーも責任も無いのです。

これに対して「真の自由」とは、

(1)自由の中にも責任が伴います。例えば大人がお酒を飲むのは本人の自由ですが、飲酒運転での事故や他人への暴力、迷惑行為などに対しては責任を取らなければなりません。
         子どもたちでも同じです。授業中に先生の話を聞かず、隣の人に話しかけたり、好き勝手をすれば周りの人に対する勉強の妨害になるので、それなりの責任を取らなければなりません。つまり、責任のない自由は無いということです。

(2)また、人は誰しも皆、自然や人間社会の中で生きているのですが、そこには必ず、「原理原則」があります。この原理を無視すれば、病気になったり、事故に遇ったり、時として災害を招いたり大変なことになりますので、原理に沿った生き方が必要です。

(3)そしてまた、自由な事でもそこには必ず、何らかの実積がなければなりません。実積が無いということは、言い換えれば無駄な事だったり、無駄な時間を過ごしているということであり、その付けは必ず、後々の自分の人生に影響してきます。

一言で、「自由」と言うのは簡単です。しかしそれを実践するのが難しいのが今の世の中ではないでしょうか。

本当の意味での自由な社会になれば、ストレスなど抱えなくてすむでしょうね。

1日も早く、そのような社会に成ることを願っております。