人は誰も皆、

心と体から成っています。

そしてそれは、

心が主体で体は対象です。

ところが、

一言に「心」と言っても、

それは大変複雑ですし、見ることも、触れることも出来ません。

でも、

心は確かに存在します。

ところでこの「心」の働きについて分類すれば、

本心、良心、邪心の3つになります。

皆さんもご存知のように、

邪心とは、誰もが願わない「悪の心」の事ですね。

では、誰もが願わないのに何故存在し、悪事を行うのか。

この出発点が聖書で言うところの「アダムとエバの堕落」によるものです。

人間は本来、本心のみに生きるように成っています。

ですから、邪心が無くならない限り幸福にはなれません。

また、

もうひとつ良心があります。

良心といえば、

聞こえもよく、誰もが「良い心ではないか」と思うかも知れません。

確かに邪心よりは良いかも知れませんが、

どちらかと言えば本心よりも邪心に近いですね。

どのようなことかと言うと、

例えば誰かが困って相談に来たとします。

その時に、相談に乗り、その事で問題が解決します。

しかし後に、

問題を解決してあげた事を恩着せがましく言ったり、恩を着せて何かを求めたりします。

これらは全て、一見すると親切、または善意のようですが打算的で良くないことです。

本当の良心とは、

相手に見返りを求めず、無償で尽くすことです。また、してあげたことは忘れるものです。

ですから、

良心と言えども、このような二面性を備えています。

ところで、

三つ目の本心には「善」の心があります。

本当の善意で人に尽くすときには見返りを求めず、相手を責めませんし、何らの要求もしません。してあげて忘れます。

このような「本心」に従って生きるようになれば、真の幸せを手にすることが出来ます。

それから、

心と体は一体となっているのですが、心の思いと体の実行が伴わないことがありますね、これを「矛盾」と言います。

この矛盾により、

病気になったり悪いことに遭遇したり、不幸を招きます。

日本人はよく、「本音」と「建前」とを使い分けますが、相手を思いやる目的であれば良いのですが・・・

ですから、本心に従って生きるのが本当の良心的、善意的生き方です。

ですが、この「本心」を取り戻すには、「本心とは何か」を知らなければなりません。

学びと修行が必要です。それが、本来の宗教の目的です。

ところが宗教の信仰者であっても、本心までたどり着けない人が多いのです。

それは、その宗教の真理が欠けていたり、本来の宗教の役割を果たしていないからです。

皆さんも「真理」に出逢える生活をし、一緒に「真の幸せ」を手に入れるために頑張りましょう。

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