僕が、生まれて初めて、

生徒の事で、親から相談を受けたのが 16歳の頃でした。

当時僕は、

高校へは進学せずに、

PL教団という宗教団体(本部は大坂)の日田教会に泊まり込みで修行しており、

私立探偵というのもしておりました。

そして、

子育てや教育に関する相談を受け始めたのは、

1980年の24歳の時に東京で勤務していた教育関連の仕事がきっかけでした。

しかし、

その年の暮れに父が病に倒れ、

田舎の役所からの通知で帰郷することになりました。

その翌年からは、

教材販売等の仕事をしながら、本格的にカウンセリングの仕事もするようになりました。

今では重要な位置を占めるようになりましたが、当時の日本ではまだ、

「カウンセラー」という仕事はもちろん、名前すら馴染みがなく、アメリカをはじめ海外に比べて、

日本でのカウンセラー事情は約100年ほど遅れていました。

ですから、

「教育カウンセリングをしております」

と、学校などを廻っても、ほとんど知られていないどころか、

しばらくは、多くの学校で相手にもしてもらえませんでした。

その内に、

福岡市内で行われた、とある団体の大会に出席した際に知り合った、当時福岡の大学役員をされていた先生に、

「昼は学校を回ってカウンセリングを行い、夜には塾講師の仕事をしたらどうかね。そうすれば、学校と外での両面で子どもたちを見ることが出来るよ」

と、薦められ、そのようにするようになったのが昭和59年(1984年)の4月からでした。

この頃は、各種の学術機関や団体にも所属しており、研究活動にも参加していました。

不登校やいじめなどの問題を、1日で解決することもあり、

福岡県教育委員会をはじめ、学校側の協力も次第に増え、

福岡を基点に大分、熊本、宮崎等へも活動範囲を拡げるようになりました。

そのような中、

平成7年(1995年)から文部科学省は、

「スクールカウンセラー」の配置を始めました。

その事をラジオで聴きながら思ったのは、

「やっと文部科学省が動き始めたが、どこまでやれるだろうか?」

という期待と不安が頭を駆け巡りました。

なぜなら、

学校は勿論、各地域の教育相談所等は、それまでにもありましたが、

その機能はほとんど活かされていないのが実情だったからです。

僕が教育相談等をはじめてから 30年以上の月日が経ちました。

不登校、いじめ、犯罪などなど未だに増加傾向にあります。

体調崩し、一度は教育関連の仕事から離れていましたが、

教え子のお父さん方からの「カウンセリングの仕事復帰」への要望もありました。

また、それ以上に、教育問題の増加に対する、文部科学省はじめ公共機関団体の対応に期待も持てません。

そこでまた、

来年度からカウンセリングの仕事へ復帰することにしました。

子どもの将来を真剣に考える皆さま方の、温かいご支援とご協力をお願い致します。

皆で頑張りましょう (^O^)/

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