1956年夏、
小学校校長の曾祖父(昔、この曾祖父の教え子だったという人に、一人だけ話を聞くことが出来ました。曾祖父は、かなり厳格な先生だったとの事でした)、
そして村議会議員の祖父、その祖父の長男家族(父の兄)と同居していた次男である父のもとに、長男として誕生したのが紛れもない僕でした。
未熟児で生まれた僕のことで、母は祖母に責められていたとか。
そんなこんなで、
この家で生まれ育った父の兄の家族はもちろん、僕にとってもいろんな思い出が詰まっている家です。
先日、久しぶりにお墓参りで立ち寄ったのですが、現在では民宿としての役割を終えて、ひっそりと佇んでいます。
やはり、
人が住まなくなれば、荒れてくるのも早いですね。
御覧のように草も伸びて、家も随分傷んで来ているようです。
僕は、この家で生まれた後、ここから更に山奥の、熊本県との県境に近いところへ開拓者として移住した両親のもと、小学校卒業までそこで育ちました。
その後、中学校の3年間はまたこの家へ戻り、父の兄の家族と共に過ごしました。
この家を離れてからも時々、父を手伝ってこの家の屋根の補修等もしていました。
現在はまだ日田市の管理下にありますが、今後の活用について検討中との事です。
3年前でしたか、市の担当者の方とも話していたのですが、
手直しは必要ですが、出来れば家を壊さず、誰かが使ってくれる事を願うばかりです。