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写真は、スティーブン・R・コブィー氏著書のダイジェスト版で、

「7つの習慣 名言集」

という本ですが、

この本は、一年365日、毎日、日毎(日付つき)に書かれています。

今日は7月28日ですね。それで、今日の内容を抜き出しますと、

「相互依存状態における誠実さとは、簡単に言ってしまえば、すべての人々に対して『同じ原則に沿って平等に接する』ことである」

という書き出しから始まっています。

ここでまた、ふと思い出したのですが、

ここで言う「すべての人に平等に接する」という事の難しさです。

誰も皆、

「差別をしてはいけません、皆平等に接しましょう」

と口では言いますが、実践できる人が非常に少ないことも事実です。

僕が昔、塾の講師をしながら学校回りをしていた頃でした。

塾での授業中、問題を解かせている間に一人一人見ながら個別に合わせた指導をしていると、

「先生、差別は良くないよ」とか、「あ、えこひいきしてる」

等と言ってくる生徒がいました。子どもたちは、「差別」や「平等」という言葉の本当の意味を知らないのです。

そこで僕は次のように指導しました。

「皆は何か勘違いしてるね。僕は別に皆を差別もしていないし、えこひいき等もしていない。むしろ、平等に見ている。

だからこそ、一人一人に合った指導もしているんだよ。

まず、黒板を使って教える時は、皆に同じことを教えている。それは分かるよな。

それでも、

一人一人理解度も違う、解らないところも違うから当然点数、成績も違う。

ある人は、10教えたことのうち全て理解できた。そしてある人は10の内8だけ分かったが、あと2だけわからない。

またある人は、10の内ほとんど分からずたった2つしか分からなかった。

この時どうしたら良いのか?

もちろん、一人一人に合わせたアドバイスが必要だろう。

本当の平等とは、皆に同じことを教えるだけではなく、一人一人の力が十分に出せるようにしてあげることなんだよ。

それで初めて平等と言える」

※詳しく書くと、長くなるので簡単に書きます。

またある日、

ある中学校を訪問した時、授業を見せていただきました。

すると、6人くらいのグループ毎に机がまとめられ、机の回りに生徒が座るという。

そうなると当然、前の黒板の方を向いている生徒は楽だが、

黒板に向かって右や左を向くような姿勢の生徒、更に黒板を背にする生徒にとっては辛い姿勢ですよね。

更に驚いたのは、グループ毎の連帯責任?

例えば一人が授業中に体調崩せば、同じグループの皆で保健室へ連れていく。

また、一人の成績が極端に落ちれば皆で教える。これは、ある意味良いのだが、間違えばグループ全体の平均も下がりかねない。

それから、当番制で、グループが問題を作成して皆に配布する?

とにかくこの学校での授業や指導方針には驚く事ばかりでした。

当然、この学校の成績は全体的に低く、この年の卒業生数百名の内、地域の進学校へ合格したのは僅か20名。

しかも、その中の19名は僕がお世話になっていた塾の卒業生だったという前代未聞の出来事でした。

この学校、日教組が強くその中心に立っていた教師は、ある日の朝礼で僕と塾長の名前を出して批判したようですが、その教師の娘さんは僕の教え子です。

皮肉なもんですね。

また、近年のことでしたが6、7年ほど前でしたか。

当時お世話になっていた運転代行の会社で、

「お客さまの依頼を受け、車の鍵を預かり駐車場まで移動してからのキャンセルは、キャンセル料¥1,000.を、頂いて下さい」

との指導がありました。

そしてあるお客さまが、駐車場まで行った時(以来のあった店から約20mほど先)、突然お客さまから、

「いまからまた飲みに行く。もう帰れ」

と、少し離れたところから叫ばれました。

それで、じっと見ていると、近づいて来て、

「キャンセル料は、いくらですか?」

と、小さな声で言うので、

「¥1,000.です」

と言うと千円札を渡してくれたので車の鍵を渡して帰りました。

実はこのお客さまは、暴力団の幹部(兄貴分?)の人でした。

仕事が終わり会社へ戻ると、上司から、

「ああいう人(暴力団関係者)からは、キャンセル料貰わなくていいから」

と言われ、

「何言ってる、皆同じようにしなきゃ」

と返したが、どうやら仕返しを恐れていたようでした。

この会社の考えも平等とは言えませんね。

警察や暴力団も僕の仕事に協力してくれるのは、皆同じように平等に接するからです。

差別やパワハラなど無くすことにも繋がりますので、「平等に接する」ことは、なかなか難しい世の中ですが、皆さんも自信をもって実践出来るよう頑張りましょう。