先日、「学力って何?」でも書きましたが、
中学生だった頃僕は、
「何故英語を勉強しなければならないのか?」
という疑問もありましたし、
ましてや、それ以前に学校へ行ってなかったので、
当然英語の勉強が出来ない、解らないですよね。
(;^ω^A
どうしてなのかは、皆さんもお分かりですね。
そんな僕が東京に居た頃のある日、
友達と有楽町を歩いていると、アメリカ人らしき2人が声をかけてきました。
すると友達は、
(この時一緒にいた同級生のT.Kくん、読んでるかな?)
「俺、英語出来ないからお前に任せるよ」
と言って遠くへ離れて行きました。
いつの間にか僕の横に来ていた男性が、
「Where is Tokyo station?」
と聞かれたのですが、早くて聞き取れず、慣れない発音で、
「excuse me, more slowly, please.」
と、聞き直すと、
「Tokyo station is located where?」
と少しゆっくりと話してきました。
そこでやっと、東京駅はどこか尋ねているのだなと分かり、
手振りと片言の英語で伝えると2人は、
「Thank you. Thank you」
と何度も振り返りながら東京駅の方へ行きました。
それを見計らって、離れた所から様子を見ていた友達が戻って来ると、
「お前、よく分かったなあ」
と言うので、
「分かるわけないだろ。でも、簡単な質問で良かった」
と笑いながらその時は過ぎました。
英語が必要だとわかったのは、正にその時でした。
それから一週間くらい後だったかな?
個人英語レッスンを行っている会社で講師を紹介してもらうと、
六本木の自動車ショールーム前で待ち合わせ、
やって来た背の高いアメリカ人男性と簡単に挨拶、
この時は僕も、簡単な挨拶と自己紹介くらいはと、書店の店頭で立ち読みし覚えていました。
そのアメリカ人講師について行くと、近くのマンションの一室へと入って行きました。
中へ入ると、窓際に置かれたテーブルの横の椅子に案内されました。
他には誰もいない上に、その男性は日本語を話せない。
はじめのうちは、簡単な会話で何とかなりましたが、徐々に分からなくなり、ついに黙り込んでしまいました。
すると男性が、窓際に置いてあった灰皿をテーブルに置くと、それを指差し、
「This is an ashtray」
と繰り返し教えてくれたので、灰のことを ash 、皿をtray 合わせて灰皿を ashtray だと言うのを覚えて、それは今でも忘れません。
これが僕の、本気での英語勉強の始まりでしたが、なんと、その時別れ際に僕は、
「Good bye」と手を振ってしまいました。
その後二度とその男性に会う事はありませんでした。
それから長い間、英語の勉強といえば、気が向いたときに、書店で買った英会話の教材などで独学するくらいでした。
そして28歳の3月、福岡で登録していた学習塾の会社から電話があり、
「来月から、○○市の○△塾へ中学生の英語の講師としてお願いします」
との事でした。
翌、4月の最初の授業日、指示された塾を探して行きました。
しかし、事前に会社からは教材の事も、教え方も全て、一切教えてもらっていなかったので、
学力も経験もない僕は、中学生の頃の授業を思い出しながらやってみることにしました。
すると、子どもたちからは、「先生の教え方は分かりやすくていいね」と、
意外な反応が返ってきたので、しばらくそのまま教えました。
ところが、
子どもたちの反応とは裏腹に、
中間テストの結果は、散々たるもの。
僕の独特な教え方が始まったのはそれからでした。
その後は子どもたちも学力が伸び始めて、やっと指導のコツがつかめ始めました。
しばらくしてまた、会社から電話があり、
「先生すみません、お願いがあります。数学は教えられますか? 実は、数学の先生が体調崩したので、臨時で2回ほどお願いしたいのですが」
という事でした。英語よりも数学の方が得意な僕は、即答で引き受けました。
こうして僕の講師生活が始まりました。
それにしても不思議なのが、
それまで長年、喘息で苦しんで来たのに、塾の講師を始めた途端に喘息が治りました。(あはは、余計でしたね。)
いやあ、それまでは「塾など行かなくてもいい。学校だけで十分だ」と言っていた僕ですが、
塾の講師を始めてからは、様々な問題を抱える現代の学校だけでは無理だということや、生徒を指導する楽しさなどいろんな事を学びました。
今後は、プロの教育者育成や教育問題解決に向けて頑張ろうと考えていますので、宜しくお願いします。
(^O^)/