人は誰でも、出会いがあり、そして別れがあります。
同じように僕もこれまでに、
数え切れないほど多くの人に出会い、
多くの人に支えられて来ました。
そのおかげで今の僕もいるわけです。
そしてその中には、
多くの人に知られている有名な人もいます。
今回はその中から3人目の方をご紹介します。
あの有名な小説家、故 松本清張先生です。
ある日なんとなく開いていた雑誌に、
「霧プロダクション設立」
という記事を見つけました。
早速大元の松竹株式会社へ出かけ、
担当者の1人にお会いする事が出来ました。
霧プロを設立した3人の中のお一人で、
当時映画制作プロデューサーをされていたY・N氏です。
霧プロに参加したいと申し出をしたところ、
快くOKしていただき、
更に、
「映画にしたい作品があるから、是非読んでほしい」
と紹介されたのが、
故 松本清張先生の作品で「渡された場面」という小説でした。
そのあと松竹を出た足で、新宿の紀伊國屋書店へ行き、紹介された本を買うと、
帰りの電車で一気読み。
アパートに着いた時にはその本丸ごと頭の中に入っていました。
(おかげでその本の内容は全て、5~6年以上頭から離れませんでした)
それ以前に先輩から渡された映画、「野生の証明(角川映画)」をお断りしていたので、
今回は出ようと張り切り・・・すぎ?
待ち遠しくて、
つい 故 松本清張先生へ、唐突にも電話してしまいました。
先生が出られたので、いきなり役作りの話をしてしまい、
「きみ、まだ台本も出来ていないんだから、話のしようもないだろ・・・」
と怒られてしまいました。
普通に考えれば当然の事ですが、
当時の僕はまだ若く、初の挑戦で焦り過ぎました。
なかなか台本が出来て来ない間に、
日田市から、親が倒れたので帰郷するようにとの電報。
勤務先の会社からも促され、
緊急に帰郷する事になりました。
その後もNプロデューサーから、
何本もの映画の台本と話をいただきましたが、
なかなか上京出来ず、結局全てキャンセル。
霧プロの3人、故 松本清張先生、故 野村芳太郎監督、プロデューサーのY・N氏には本当にご迷惑お掛けしてしまいました。
今更ながら、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
その後松竹株式会社には、映画「子ぎつねヘレン」の宣伝をお手伝いさせていただきましたが、まだまだ恩返しが出来ていませんね。
故 松本清張先生とは、僕の田舎の鯛生金山で行われた、フジテレビのドラマの撮影現場でお見かけしたのですが、
先生を怒らせた事や、その時のフジテレビのドラマで、フジテレビのスタッフが僕の書類を紛失して、出られなかった事などもあり、結局その時は声をかけないままでした。
今頃、松本清張先生や野村芳太郎監督さんも、信じられなかった霊界へ行かれ、その後の松竹株式会社を見守っていらっしゃる事でしょうね。
改めてお二方のご冥福をお祈り申し上げます。