1995年1月5日、

この日の夜僕は、

当時お世話になっていた福岡県内の進学塾で、

中学2年生の授業を行っていました。

授業が始まって間もなく、

ふと、

頭の中で、巨大地震の光景が見えた。

「おい、今年は大きな地震が起こるなあ」

と、子どもたちに言ってしまった。

すると子どもたちから、

「先生、それいつ?」

「どこで?」

などと質問が相次いで出ました。

その時僕は、

「いつかは分からないが、もうすぐ。場所も、よく分からないが東京よりもこっちに近いなあ」

と説明しました。

すると、

「先生、どこだったら安全ですか?」

と数名の生徒が聞いてきたので、

「安全なところは、世界中どこにも無いよ。でも、普段から人の為になる事をしたり、良い事をしたりしていれば、どんな状況の中でも助かる」

と、

群馬県の山中で墜落した日航機事故から、

無事に救出された女性たちの事を例に話したのを忘れません。

その翌日僕は、

風邪なのか分からなかったが、

自宅から車で少し出た所で目の前が暗くなり、

慌てて引き返し、

そのまま救急車で日田市内の病院へ搬送され、

危機一髪で助かったが、そのまましばらく入院する事になりました。

ベッドの上で見た阪神淡路大震災の大惨事、





このような光景を見て唖然としました。

10日ほど前に頭に浮かんだ様な光景が、

現実のものとなってテレビに映っていたからです。


あれから20年も経つのですね。

その20年目の今年、

先週の木曜日(8日) 、

あの時と同じような状況で、

救急車で病院へ行く羽目になるとは、

予想もしていませんでした。

これから起ころうとしている事態も、

誰も予想出来ない事ばかりです。

自己中心的に生きれば、命を奪われます。

今は、人々がお互いに助け合って行く時代です。

多くの人たちが、

2020年に向けて、頑張っていける事を祈るばかりです。