1992年のある休日
知り合いからオートポリスへ連れて行って欲しいと誘われて行った時のことです。

ふとしたことから、

シュパン・ポルシェ962CR という世界最高のスポーツカーに試乗出来ることになりました。

これは車に乗る直前の私です
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そして、乗り込みました。この時のドライバーは、SWC(スポーツカー・ワールド・チャンピオンシップ)はじめ、様々なレースで活躍していた日本人ドライバーの太田哲也氏でした。
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パワーがあるので、加速は勿論良いのですが、コーナリングもしっかりと安定しており、中々素晴らしい車でした。それに、太田選手のドラテクもしっかりと拝見出来ました。

下の写真は、車から降りてテレビの取材を受ける直前の私です。
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この日から暫く経ったとある日曜日。

私は、このオートポリスで行われたカーレースにスタッフとして参加して居ました。

すると途中でそばに居たスタッフから、

「富士スピードウェイで、レース中に太田選手のフェラーリが燃えて、病院へ搬送された」

との一報が入りました。

私は一瞬目の前が暗くなりました。

「もし本当なら、無事で居て欲しい」

そう、何度も何度も心で祈りました。

皆さんもご存知のように、この時の太田選手の事故とその後のリハビリなどは、

アンビリーバボーはじめ、何度かテレビで特集が組まれました。

そして奇跡的に生還した太田哲也氏が記した本が下の写真です。
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この後私は、ある人から

「3人のドライバーは貴方の犠牲になったんだよ」

と言われました。

普通に考えれば、「たまたま」とか「偶然」などといった言葉で片付けることでしょう。

その後私は、3人のドライバーの事が頭から離れず、また私自身ドクターストップがかかったこともあり、徐々にオートポリスから遠ざかってしまいました。

しかし、

私の故郷で唯一のレーシングサーキットのオートポリス、皆さんも是非楽しんでいただきたいと思います。