おかん 逝く | みつ光男的 だれだれ日記

みつ光男的 だれだれ日記

家族と過ごす何気ない日常と好きな音楽、プロレス、自作小説について。
更には日々の癒しとなるアイドルについてなども長ったらしく綴ります。

昨日、闘病中の
母親がこの世を去りました。

コロナの影響でなかなか訪問出来ない中、

前日、ようやく家族でお見舞いに行った
翌日のことでした。

夜勤明けでのんびりしていると
突然の電話

受話器の向こうからは
さほど切迫感が感じられなかったので

そこまで深刻な状況ではないのでは?
そう思いながら

入居している施設に着いてその姿を確認

施設の方に促されて先に僕と娘が入室
近くに行ってみると
呼吸が感じられなかったのですが

娘が呼びかけると
首筋が微かに脈打っている。

「あ、よかった、大丈夫みたい」

そしてもう一度
「ばあちゃんっ!」
と、娘が声をかけると

それまで乾燥していたおかんの下の瞼が
少しずつ潤んでいくのがわかりました。

「ばあちゃん、泣いとるみたい」と娘。

そしてそれが、
おかんからの最期のリアクションでした。


続けて施設長さんや介護の方が来られて
話をしてくれるのですが

その話がすべて
「…でした」
「…だったのですが」と、過去形なのです。

それですべてを察しました。


ほどなく担当医の先生が部屋に、
酸素マスクを外し瞳孔の確認をすると

テレビドラマのワンシーンのように
「○時○分、ご臨終です」

そう告げられ現実を知りました。

娘は泣いていましたが

僕は不思議なことに
とても冷静に見送りました、

悲しいと言う感情があるのに
何でかわからないのですが
こんな時に涙の一粒も出ないんです。

言い方は良くないのですが

これでやっとおかんが
苦しみやしんどさから解放されることへの
安堵感、のような思いの方が強かった。

捉え方の問題だとは思いますが
生前の本人の言葉通り延命を望まず
流れ行くままに身を任せたからこそ

穏やかな最期を迎えられた、

そう思わないときっとその選択をした
僕や家族が罪悪感にさいなまれる…

自己満足かも知れませんが
きっとおかんならこれを望むだろう、と言う

言葉が交わせなくなった状態でも出来た
最後の意志疎通だったのかな、などと
考えることにしました。


施設長さんから
様子を詳しく教えていただきました

やはり僕たちが来た時点で呼吸は
止まっていたそうです…が

ほんとに、こんなことがあるのか?ってくらい
不思議な現象で

僕たちが来たことで心臓が微かに脈打って
何かしらの反応をしたのかも、

とのことでした。

涙らしき現象のことは
それはもうご家族だからこそ通じる、
特別な何かがあったのでしょう、と。


一番の心残りは息子をその場に
連れていけなかったこと

元気な頃は娘同様にとても仲が良く
孫二人はいつも
おかんの部屋に遊びに行ってました。

生前過ごしていた部屋から見えた景色は
僕が子供の頃過ごした
兵庫の片田舎の雰囲気と似ていました。

窓の向こう側におかんは
いつも何を見ていたのだろう?


諸々の手続きを終えて施設を出ると
玄関先に巣立ちを前にした燕の雛たちが。

新たな生命の息吹と
旅立った命とのコントラスト

雛たちは命を引き継いで
がんばって生きてほしいな、と
素直に思いました。

お別れは明日の予定です

まだ今は手続きが山積みで
気持ちの整理をする余裕はないのですが


僕個人としては今やってることは
自粛とか中断とかしないつもりです。

きっとおかんは
「そんなん気にせんとやったらええんよ」と
言いそうなので。


今日は友引のため弔事は行えないので
お別れ前夜となります

おかんが眠る静かな一室で
思い出話をしながら家族で
しばし時を過ごしたいと思っています

その場に行けない息子の思いも
僕の心の中に引き連れて

決して湿っぽくならずに

びっくりするくらいに天然だった
笑える楽しいエピソードなんかを

おかん本人に聞かせてあげたいと思っています。



正にド天然のこの話など(笑)↓