陰陽座 再考 壱の巻 「出会い」 | みつ光男的 だれだれ日記

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家族と過ごす何気ない日常と好きな音楽、プロレス、自作小説について。
更には日々の癒しとなるアイドルについてなども長ったらしく綴ります。

突然ではありますが
ブログになかなか新ネタの生まれない
この機会に

「大阪珍道中」の合間を縫って

ワタクシの敬愛するバンド

陰陽座について語るコーナーを始めまーす♪

そして現在全国ツアー中断中でもあり
コロナの悪夢終息はもちろんのこと、

突発性難聴と闘病中の黒猫さんの
快気を祈願しつつ

書き進めていきたいと思います。


さて、、、

" 陰陽座 "なるバンド

彼らは通称「妖怪ヘビーメタル」
そう名乗っています。

まずそのキャッチコピーを聞き
和装の衣装や不思議な曲名を見ると

「ん?色モノか?」と思われる方が

まぁ、残念ながらほとんどかと思います。

そもそもヘビーメタルと言う
ジャンルそのものが
偏った感覚で見られていると言う自覚は

この音楽を聴き始めた1980年代から
持ってはいましたが・・・

と、言う重い話はさておき(笑)


僕はそんな大好きな
ヘビーメタルと言うジャンルから
一時期離れていた時期がありました、

ちょうど1998年から2002年くらいにかけて。

もちろん嫌いになったわけではなく
娘が生まれ、息子が生まれた頃の数年間は

子供たちと一緒に親子で聴ける
某国営局の子供番組の歌などをメインに

僕はほとんど新しいメタル系バンドを
聴くことも発掘していくこともなく

家族でJ-POPのシングルを聴いたり、と
そんな日々でした。

再びメタルに「手を染めた」のは
2003年 春のこと


深夜、僕がプロレスを観ていると
そのエンディングで流れたのが

陰陽座の「鳳翼天翔」と言う曲

力強い女性ボーカルの声に
流麗なギターの音色

そのあまりのカッコよさに
録画していたプロレスを巻き戻して
誰の曲か番組のエンドロールを

確認したのです。

雑誌でもなく、音楽番組でもなく…

こうして僕は陰陽座の曲と
意外な形で初遭遇を果たしました。


更に追い討ちをかけるように

その数週間後、家族で九州へ旅行に行く際
フェリーの中で読もう、と
実に久しぶりにこの雑誌を手にしました。

メタル専門誌「BURRN!」2003年5月号

僕が15歳の頃から愛読している
正にバイブルのような、
教科書のような雑誌です。

KISSのライブレポやハロウィンの新作、

そんな内容を読み進めていく中で
目を引いたのが

このページ

「この前テレビで聴いたやつやん!!」と


ライブレポートを読むにつれ
とてつもなく得体の知れない
ワクワク感に襲われました

『これはとんでもないバンドに出会ったかも』


サポートメンバーの中に
過去に筋肉少女帯に参加したこともある
三柴 理(筋少時代は江戸蔵)さんの名前を見て

これはなかなかのテクニシャン集団である、
それはすぐにわかりました。


当時はまだインターネットも
それほど流通しておらず

我が家も一応、電話回線と言う
とんでもなく緩いネット環境でしたので

情報は雑誌がまだメインの時代。


そして僕はあることに気づきました…

そのどれもが
ユニークで個性的且つカッコよい曲名
そのセットリストの中に

「おらびなはい」
「がいながてや」

と、言ったタイトルを見た瞬間…

「ん?愛媛…やないか!?」


そうなんです!

「おらぶ (叫ぶ)」
「がいな (すごい)」は愛媛の方言なのです。

「おー!これは!」

愛媛か?愛媛出身なのか?
心躍りました(笑)

心の声が実際に声で出るくらいに(笑)(笑)

フェリーでお菓子を食べたり
わいわい騒いでいた娘と息子が

不思議そうにそんな僕の顔を見ていました。


僕は旅行から帰るとすぐに
あのプロレスのエンディングで聴いた

「鳳翼天翔」が収録された最新アルバム

「鳳翼麟瞳」をレンタルしに行きました。
(そこは買っとけよw)

" 鳳凰の翼に麒麟の瞳 "
何と言う大仰で荘厳なタイトル…


これが実質、数ある
陰陽座のアルバムとの出会い


その衝撃と言ったら!!
想像を絶するモノがありました

その感想については次回で。


まだ当然ながらブログもやっておらず
まさかこの先、数年後に

僕にとって
陰陽座が唯一無二のバンドになることも、

陰陽座の曲を息子が聴くことも、

雷舞(ライブ)に行くことも、

ブログを通じて
たくさんの仲間ができることも、

この頃は
何一つ想像すらしていませんでした。


過去記事にも↓
同じ内容を書いていますね(笑)
「回顧録」的な記事のセルフカバーやぁw
(彦麿呂風にw)

次回「弐」へ続きます♪