三沢光晴 ~スパルタンXよ、永遠に~ | みつ光男的 だれだれ日記

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家族と過ごす何気ない日常と好きな音楽、プロレス、自作小説について。
更には日々の癒しとなるアイドルについてなども長ったらしく綴ります。

2009年
僕にとっては正に不遇の1年でした。

プライベートでは仕事上のトラブルに巻き込まれ
散々な目に合い

5月には清志郎が逝き

そして6月には・・・

(お借りしました、ありがとうございます)

プロレスラー三沢光晴選手が

試合中に技を受けた後、リングで意識を失い
そのまま帰らぬ人となりました。

昨日、6月13日が命日でした。
あれから5年。

ようやく三沢選手のことを記事に書けるくらいまで
気持ちの整理がつきました。

清志郎は病気だった。
ファンとしてはある意味、覚悟と言うか
最期の日を受け入れる気持ちの準備はできていました。

ただ、三沢選手は蓄積していたモノがあったとは言え
突然の他界。

まるで「行ってきます」と家を出て
そのまま帰らぬ人になった家族、の様な感情になりました。

三沢選手に関しては語りたいことが
たくさんありすぎてとても1回では終わりそうにないので
またの機会にするとして

三沢選手の死で僕以上にショックを受けていたのは
うちのおかんでした。

おかんの方が先にこの悲報を知り
僕に伝えてくれたのですが
声は震えて、顔も青ざめていました。

実はうちのおかん、全日本プロレス時代から
三沢選手と小橋建太選手の大ファンで

父親の鬱に悩まされていた1995年頃
生きる気力も失くして、明日生きる気持ちを失いかけていた時

たまたまつけたテレビで放送された
三沢vs小橋 の試合を観て

とてつもなく勇気をもらったのだとか
その激しくも熱い試合内容に、涙が止まらなかったそうです。

おかん曰く
「あの日、試合見てなかったら わたしゃ、今頃あの世やで」

それからおかんとは
松山で大会があるたびに親子で観に行ったものです。

とにかく、プロレスを観ていて

三沢選手の試合ほど
これほど熱くなる闘いがあっただろうか、
そしてとてつもなく切なくなるのです。

もう、返さなくていいから
負けてもいいから楽になってくれよ・・・

これ以上やったら死んでしまう。

何度そう思いながら観たことか(笑)

実際、三沢vs小橋の試合で実況していた方が
「死んでしまう!」
そう絶叫したこともありました。


三沢選手は、いつでも僕らプロレスファンの期待を裏切らない
素晴らしい選手でした。

1990年代に実況を担当していた若林健治さんは
何度も実況中に泣き出してしまい、泣き声で実況を続けていましたが

「三沢光晴、涙が出る」
この一言が、最も三沢選手の試合を象徴した一言ではないでしょうか。

エルボー
フェイスロック
タイガードライバー
タイガードライバー'91
タイガースープレックス
タイガースープレックス'85
エメラルドフロウジョン

得意技、決め技の名前を思い浮かべるだけで
何だか泣きそうになりますね。

あれから5年
天国でもファイトを続けてるのでしょうか?

そろそろ、ゆっくりしてる頃かな(笑)
そしてまだ、僕の涙は枯れることはありません。
生前の彼の試合を見続けている限り、三沢選手は永遠に心の中に生きているからです。

※ちなみに「スパルタンX]は三沢光晴選手の入場テーマ曲です音譜