小橋建太 引退 | みつ光男的 だれだれ日記

みつ光男的 だれだれ日記

家族と過ごす何気ない日常と好きな音楽、プロレス、自作小説について。
更には日々の癒しとなるアイドルについてなども長ったらしく綴ります。

子供の頃から大好きだったプロレスが
全然面白くなくなってしまった時期があった。

1980年代半ば、
前田日明選手を中心としたUWFが台頭して
今まで観ていたプロレスとは何ぞや?となり

従来のプロレスファンが何となく肩身の狭い思いをしていた
そんな時代。

ゴールデンタイムから夕方、そして深夜へと追いやられた
プロレス中継。


大学に入学して何気なくTVをつけていると
深夜に始まった「全日本プロレス中継」


敵うはずもない大物外国人選手に
やられてもやられても立ち向かって行く
一人の選手の姿が目に入った。

彼の名は
小橋建太


度重なる病気や怪我を克服した彼も
ついに先日の引退試合を持って
その選手生命に自らピリオドを打ちました。

小橋選手の試合から
どれだけの勇気をもらった事か。

大学に入学したばかりの頃、
社会人になりたての頃、

まだ人間として未熟な自分に
選手として成長過程の小橋選手を照らし合わせて
共感する部分も多かったのだと思います。

先述の通り
到底、歯が立つ訳のない強豪選手に立ち向かい
コテンパンにされ、その敗北をバネに強くなる。

そんな生き様をリングの上で見せてくれる
それだけで僕は
いや当時のプロレスファン全ては胸を熱くしたのです。

僕だけでなく、父の鬱に悩まされていたうちのオカンも
「あの頃、コバ(小橋選手)の試合を見てなかったら今、生きていたかどうか・・・」
と、言ってました。

僕は何度も実際の会場に足を運び
「全日本プロレス」「プロレスリング・ノア」の試合を観ましたが
ほんとにいつでも素晴らしい試合を見る事が出来ましたし、

会場で偶然お会いした時も小橋選手は
嫌な顔一つせず、握手やサインに応じてくれました。

いちプロレスラーとして、と言うのもありますが
きっと陰陽座のように
その人柄にも魅かれてファンでいたのだと思います。


引退試合を観たファンの中には
「まだ戦えるんじゃないか?」
そんな声も聞かれたようですが

僕は「引退」を選んでくれたことに胸をなでおろしています。

もう三沢光晴選手の時のような悲劇を目の当たりにしたくないのです。
思い残す事はあっても元気でリングを降りてくれる事の方が
ファンからすれば嬉しい事なのです。

三沢選手のみならず
新日本の福田選手
JWPの麻里ちゃん(プラム麻里子選手)
門恵美子選手・・・

リングで死ねれば本望・・・なんて
そんなのは嘘です。


プロレス、ハードロック、ヘビーメタル
何だか僕が好きになる事例は
ともすれば周りの人が眉をひそめたり
思わぬ偏見を生んだりするようなジャンルばかりのような気がします。
何でやろ(笑)

今朝のワイドショーで小橋選手の引退に密着していましたが
ただならぬ思い入れがある僕としては
もう観ながら、朝食も喉を通らないくらい号泣号泣、また号泣(笑)

きっと小橋選手の奥さんよりも泣いたぜ(笑)

大学時代に
「プロレスなんてインチキですよね」
そう言った後輩の首根っこを掴んで

三沢 vs 小橋
この試合をビデオで強引に観せて

(光)    「これのどこがインチキやねん!!!」
(後輩)   「すみませんでした、訂正します、もう二度と言いません」

と、言わせた(笑)

そんなのもいい思い出です(笑)
(後輩からすれば、たまったもんではない)

数ある名勝負の中でも
1993年8月31日 愛知県豊橋市総合体育館
「三冠挑戦者決定戦」
VS スティーブ・ウィリアムス戦

(お借りしました、ありがとうございます)


こちらはダイジェストですが確か40分を超える死闘。
ウィリアムスが「殺人バックドロップ」を解禁しなければいけないほど
強豪ウィリアムスを追い詰めた1戦。

以前「アメトーーク」のプロレス芸人でも言ってましたが
プロレスファンは試合を見ただけで
日にちを会場がわかってしまいますよ(笑)
恐怖の記憶力。

負けはしましたが
この試合が一番小橋選手の試合の中で
最も好きで印象的な試合です。


小橋建太選手
本当にお疲れさまでした。
たくさんの夢と勇気をありがとう。

ムーンサルトプレス
剛腕ラリアット
バーニングハンマー

今でもしっかりと目に焼きついています。

・・・ん?
バーニングハンマー?
SEX MACHINEGUNSのライブアルバム
「BURNING HUMMER」

そう思った方、そうなんです。

あのジャケット
剛腕を包むような炎の文字は
「KK」に見えませんか?
これこそ小橋建太のイニシャルなのですよ(笑)



小橋選手は京都の福知山出身だったので
僕の育った兵庫県養父市とも近くて、
それだけで何だか親近感がありましたね。